光の彼方への旅立ち、ナムル章(8)
コーラン第27章 ナムル章 蟻 第41~第44節
慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
第41節
「[ソレイマーンは]言った。『[女王の]王座を彼女に分からないようにしなさい。それで彼女が理解する者か、そうでない者かを見ることにしよう』」(27:41)
قَالَ نَكِّرُوا لَهَا عَرْشَهَا نَنْظُرْ أَتَهْتَدِي أَمْ تَكُونُ مِنَ الَّذِينَ لَا يَهْتَدُونَ (41)
第42節
「 それから[女王が]やって来たとき、彼女は言われた。『あなたの王座はこのようなものでしたか?』 彼女は言った。『どうやらそのようです』 それ以前に私たちに知識が与えられ、私たちは服従していました。」 (27:42)
فَلَمَّا جَاءَتْ قِيلَ أَهَكَذَا عَرْشُكِ قَالَتْ كَأَنَّهُ هُوَ وَأُوتِينَا الْعِلْمَ مِنْ قَبْلِهَا وَكُنَّا مُسْلِمِينَ (42)
第43節
「神の代わりに崇拝するものは、彼女を遮り、彼女は不信心者の民の一人でした」 (27:43)
وَصَدَّهَا مَا كَانَتْ تَعْبُدُ مِنْ دُونِ اللَّهِ إِنَّهَا كَانَتْ مِنْ قَوْمٍ كَافِرِينَ (43)
前回の番組でお話したように、サバーの女王は、数人の側近たちと共にイエメンからシリアのシャームに向かい、預言者ソレイマーンに対する屈服を示そうとしました。その一方で、預言者ソレイマーンの命により、女王の王座が一瞬のうちに、女王の宮殿からソレイマーンの宮殿に移動されました。この3つの節は次のように語っています。「ソレイマーンは、女王の理解力を試すと同時に、自分の普通ではない力を示すため、これまでとは異なる装飾を王座に施すよう命じた。女王がソレイマーンの宮殿に入ってくると、宮廷の人間たちは彼女に王座を示して言った。『あなたの王座はこれと同じものか?』 しかし彼女は、表面的な変化が加えられていたにもかかわらず、それが自分のものであることを理解し、言った。『どうやら私のものであるようです』」
サバーの女王は、王座を確認した後、ソレイマーンと宮廷の人々に向かって言いました。「もしあなたたちの目的が、私たちに自分たちの力を示し、私たちを屈服させることにあるのだとすれば、私たちはここに来る前に、あなたの力を知り、すでに屈する気持ちでやって来ています」
この節は続けて、次のように語っています。「サバーの女王は不信心者の間で育ち、彼らの間では太陽崇拝と偶像崇拝が広がっていたため、至高なる神への崇拝など、誰にも思いも寄らなかった。だが、真理が彼女に示され、それを知ったとき、彼女はそれを受け入れ、屈服した」
第41節~第43節の教え
・信仰を寄せ、屈服するのは、盲目的な模倣ではなく、知識に基づいたものであるとき、価値を見出します。
・逸脱した思想や信条が社会に浸透すれば、それは人々が真理を知り、信仰を寄せる上での妨げになります。
・人間は変化する生き物であるため、悪い過去があるからといって、未来も悪くなるとは限りません。多くの人間は、悪い過去がありながら、後に道を正し、改めようとしました。
第44節
「彼女はこのように言われた。『宮殿の中に入りなさい』 それを見たとき、彼女は池だと思った。[それを通り過ぎるために]2つの足のすねのところから服をつかんだ。彼は言った。『[ここは池ではなく、]ガラスでできた宮殿である』 [サバーの女王は]言った。『主よ、私は自分自身に圧制を加えました。[今、]ソレイマーンと共に世界の創造主に対して頭を垂れます』」 (27:44)
قِيلَ لَهَا ادْخُلِي الصَّرْحَ فَلَمَّا رَأَتْهُ حَسِبَتْهُ لُجَّةً وَكَشَفَتْ عَنْ سَاقَيْهَا قَالَ إِنَّهُ صَرْحٌ مُمَرَّدٌ مِنْ قَوَارِيرَ قَالَتْ رَبِّ إِنِّي ظَلَمْتُ نَفْسِي وَأَسْلَمْتُ مَعَ سُلَيْمَانَ لِلَّهِ رَبِّ الْعَالَمِينَ (44)
この節から分かるように、預言者ソレイマーンは、宮殿の中庭をガラスで作り、その下に水を流すように命じていました。サバーの女王は、そこを通過しようとしたとき、それが小川であると考え、服のすそを持ち上げて、濡れるのを避けようとしました。ソレイマーンは、女王のそのようなしぐさを見て彼女に言いました。「宮殿の中庭はガラスでできている。人々には見えず、彼らは小川だと考えてはだしになる」
当然のことながら、壮麗な王座と宮殿を持っていたサバーの女王は、このような場面を目にして驚き、自分の統治体制は、ソレイマーンの宮殿の偉大さと壮麗さに比べれば、全く取るに足らないものだと考えました。そのため、預言者ソレイマーンの前には、自分の力や可能性を示しても仕方がないことを悟りました。言い換えれば、預言者ソレイマーンは、自分の物質的、非物質的な可能性と力を示すことで、サバーの女王に対し、戦いなど考えるべきではないこと、大きな犠牲を余儀なくされるような行動を起こすべきではないことを理解させようとしたのです。
サバーの女王の力と物質的な偉大さが崩れ落ちた後、彼女は精神的にも、預言者ソレイマーンの教えの前に屈しました。なぜなら、これほどの壮大さを持ちながら、ソレイマーンがそれを誇ることはなく、世俗的な欲望に囚われていないどころか、王であると同時に、預言者としての使命を果たし、真剣に人々を神へと導こうとしているのを悟ったからです。そのため、神に向かって自分の過去の過ちを謝罪し、神に対する服従を宣言し、太陽崇拝をやめ、唯一神を信仰するようになりました。興味深いのは、サバアの女王が、このような状態で、「私はソレイマーンに屈服した」と言うのではなく、「私は神に屈服した。ソレイマーンも神に服従しており、私たちは2人とも、神の僕である」と言っていることです。当然のことながら、サバアの女王の唯一神への信仰は、サバアの人々が太陽を崇拝するのをやめ、唯一神を信仰するようになるためのきっかけとなりました。
第44節の教え
・物質的な可能性は、宗教を広めるために活用されなければなりません。預言者ソレイマーンは、物質的な可能性や状況を、他者を導くために利用しました。
・イスラムの統治体制が、不信心者を謙虚にさせるような芸術、美しさ、産業や新たな技術などを持つことは、好ましいことです。
・真の罪の悔悟とは、過去の過ちを認め、神に赦しを求めることです。そして神の導きというともし火によって、未来への道を歩むことです。
・信仰の精神は、世界の創造主である神に屈することです。サバアの女王も、最後に神に服従することを宣言しました。