7月 03, 2017 17:42 Asia/Tokyo

コーラン第27章 ナムル章 蟻 第61節~第63節

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において

 

61節

「[彼らが神と同等にすえていたものの方が優れているか、]それとも、大地を住み処とし、その中に川を生じさせ、そこに堅固な山を据えた者か? また2つの海の間に障壁を設けた者か? 神の他に別の崇拝の対象はあるだろうか?いや、彼らの多くは知らないのだ」 (27:61)

أَمَّنْ جَعَلَ الْأَرْضَ قَرَارًا وَجَعَلَ خِلَالَهَا أَنْهَارًا وَجَعَلَ لَهَا رَوَاسِيَ وَجَعَلَ بَيْنَ الْبَحْرَيْنِ حَاجِزًا أَءلَهٌ مَعَ اللَّهِ بَلْ أَكْثَرُهُمْ لَا يَعْلَمُونَ (61)

前回の番組でお話したように、コーランは、偶像崇拝者や多神教徒の迷信的な考え方に対し、神の創造物の一部を挙げ、節の最初と終わりで、疑問を投げかける形で次のように語っています。「この自然現象は、あなたたちの神々の創造物であるか、それとも唯一の神の創造物だろうか?」 この節はまた、前の節に続き、大地と、そこに生きるための条件を創造することにおける神の力や英知を示す一部の自然現象に触れ、次のように語っています。「神は大地を、あなたたちのためにどっしりとした静かなものとし、あなたたちが安らぎを得られるようにした。もし時折、大地の一角で起こる地震、それによる激しい揺れによって破壊が生じることに注目すれば、大地の堅固さが、そこに住む人々にとって神の大きな恩恵の一つであることを知るだろう」

 

山や小川、淡水と塩水の存在は、地球に生きる可能性を人間に与えています。人類の偉大な文明の発祥は皆、川沿いや平野の出来事です。それなのに多神教徒は、魂のない偶像が、神と共にこの偉大な世界の創造や管理を行っていると考えています。しかし彼らは、これについて考えたことがなく、その真理を知らないだけなのです。

 

61節の教え

・大地が非常に安定しているため、人間は大地が不動のものであると考えます。しかし大地は自転しており、太陽の周りを公転しています。しかしその動きが一定であるため、誰も動いていることを感じないのです。

・不信心や多神教信仰の源は、真理を正しく知らないところにあります。それは時に、頑なな心、真理を理解し、受け入れるのを望まないために起こるものです。また時には意図せずに陥ることもあり、私たちの義務は、広く伝え、世論を導くことです。

 

62節

「あるいは、苦難に陥ったときに祈るのは、それを叶えてその困難を取り除き、あなた方を地上の後継者とする者か? 神の他に崇拝の対象はあるのか?あなた方はなんとわずかな忠告のみを受け入れることか」 (27:62)

أَمَّنْ يُجِيبُ الْمُضْطَرَّ إِذَا دَعَاهُ وَيَكْشِفُ السُّوءَ وَيَجْعَلُكُمْ خُلَفَاءَ الْأَرْضِ أَءِلَهٌ مَعَ اللَّهِ قَلِيلًا مَا تَذَكَّرُونَ (62)

この節は、すべての人間の人生に見られる神の存在の象徴に触れ、次のように語っています。「あなたたちは問題や災難に巻き込まれ、全ての扉が閉ざされ、行き詰まってしまったとき、誰を求めるのか?そのような状況の中で、偶像やその他の存在は、あなたたちのために何かを成しえるのか?またはあなたたちは、自分たちの中に、問題を解消することのできる力を知っていて、それを心から求め、願いを叶えてくれるのを期待するのか?」

 

コーランの別の節では、「船に乗り、大きな波があなたたちの命を危険に晒したとき、神以外の誰を求め、神以外の誰に救いを期待するだろうか?」と、人間の本能的な信仰に触れています。宗教に反対する人々は、神は人間の不安や恐怖により、生み出された存在だとし、それを理由に神を否定しています。彼らは、人間は困難な出来事に直面した際、自分の無力さを実感し、恐怖や無知から、自分の頭の中で創造する存在へと助けを求めるのだとしています。

 

実際、敬虔な人間は、恐怖や危険に陥ったときだけでなく、人生のあらゆる状態において神を信じ、神を頼りにします。恐怖や不安により、無知の覆いが取り払われ、人間は神のみを目にし、神の助けが必要であることを感じます。それはちょうど、どのような状態にあっても、両親の存在を受け入れながら、必要なときだけ両親に頼り、両親に助けを求める子供と同じです。そのときの両親とは、子供が必要とするため、また子供が危険を恐れるために生まれたものなのでしょうか?あるいは、危険な要素によって、子供は困難な状況に置かれたとき、両親だけがその子の手を取り、その要求を叶えてくれるということを理解するのでしょうか?いずれにせよ、人間は、いかなる力も、自分の望みをかなえてくれず、その希望が完全に断たれたと確信するとき、心の底から、目に見えぬ救いの力に頼ります。それこそは至高なる神なのです。

 

62節の教え

・神を知る道の一つは、人生で困難に陥ったときに救ってくれる力に注目することです。

・神は人間を地上の支配者とし、人間が自然を支配し、その可能性を利用する力を与えています。

 

63節

「あるいは、あなた方を陸や海の暗闇の中で導く者か。また、慈悲[の雨]の前に風を送る者か?神の他に別の崇拝の対象はあるか?神は、彼らが同位に配するものよりも優れている」 (27:63)

أَمَّنْ يَهْدِيكُمْ فِي ظُلُمَاتِ الْبَرِّ وَالْبَحْرِ وَمَنْ يُرْسِلُ الرِّيَاحَ بُشْرًا بَيْنَ يَدَيْ رَحْمَتِهِ أَءلَهٌ مَعَ اللَّهِ تَعَالَى اللَّهُ عَمَّا يُشْرِكُونَ (63)

前の節に続き、この節は、同じような疑問の形で次のように語っています。「夜に海や陸を旅する際、あなたたちは、その道筋をどのように見つけるのか?夜にあなたたちの道しるべとなる星は、魂のない存在物によって創造されたものか、それとも唯一の神によって創造されたのか? 海の上から大地の果てへと雲を移動させ、雨を降らせる風は、神以外の誰の意志によって動くのか? なぜ価値のない偶像を、至高なる全能の神と共に求め、それらが自分と世界の運命に影響を及ぼすものと見なすのか?」

 

63節の教え

・天と地の自然の秩序ある現象は、創造世界に確かな計画が存在することの最高の証明です。そしてそのような偉業をなし遂げることは、世界の創造主である神以外の誰にも不可能です。

・誰も、何ものも、神の名と同等の地位には並べられません。神は世界のあらゆる存在物よりも優れています。