7月 13, 2017 16:48 Asia/Tokyo
  • モスク、巡礼の場

この番組では、イスラム世界におけるモスクの重要性と、モスクが現代の世界において果たしている役割に注目した上で、モスクの様々な機能と、世界各地にある重要なモスクの一部についてご紹介してまいります。

前回は、神の啓示宗教の全てにおいて、神への崇拝と礼拝が高く位置づけられていることから、礼拝の場も特別に重視されていることについてお話しました。イスラム世界では、モスクは神の家、また神の僕たちの礼拝の場とされています。このため、神はモスクを自らの家、即ち会合を開き親睦を深める場、また巡礼の場であるとしています。

神はコーラン第9章、タウバ章「悔悟」、第108節において次のように述べています。

“その中には、自ら清浄であることを好む人びとがいる。神は、清らかな者を愛される” 

このことから、清潔で清らかな状態であることが、モスクに赴く際のマナーであることが分かります。複数の伝承においても、自宅で簡単な沐浴を行ってからモスクに赴く人は、神を詣でる巡礼者と解釈されています。

言うまでもなく、体を清めることは精神を清める初期段階といえます。このため、イスラム教徒は体を清めることで精神の浄化を求めるべきなのです。それは、心や魂がきれいであることが原則だからです。ですから、体や衣服を清潔にする前に、まず心と魂の浄化に注目する必要があります。

コーラン第7章、アル・アアラーフ章、「高壁」第31節には、次のように述べられています。“預言者アーダムの子孫よ、何処のモスクに赴く際にも清潔な衣服を体につけるがよい” コーランのこの節は、信徒たちがモスクに出向く際のマナーとして、清潔な衣服を身に着けることを挙げています。もっとも、マナーを守り神に服従するには、大勢の人々が集まる宴の場で外見上の身だしなみにも最大限の注意を払うことと同様に、創造主なる神の御前に出るときにも身だしなみに配慮することが必要とされます。

 

ある伝承には、次のように述べられています。シーア派2代目イマーム・ハサンは礼拝をする際に、常に最も良い衣服を身に着けていたとされています。ある時、一部の人々が彼に対し、なぜ礼拝の際に一番良い服を身にまとうのかと尋ねました。これに対し、イマーム・ハサンは次のようにお答えになりました。

“神は美しき存在であり、美しいものを愛される。そして「礼拝やモスクに赴くときには清潔な衣服を身に着けよ」と仰っている。だから私も、我が創造主なる神のために、自らを清潔にし、一番良い服を身に着けたいと考えている”

シーア派初代イマーム・アリーの伝承にも、清潔な衣服を着用することで、悲しみが消え去り、またそれは礼拝を行うためにもより好ましいとされています。このため、清潔であることの重要な効果は、悲しみが消え去ることだとされています。

 イスラムの預言者とその一門の言行録においては、香水の使用についての指摘があり、これに関する美徳、特に集団での礼拝に参加する際の香水の使用について述べられています。シーア派6代目イマーム・サーデグは、次のように述べています。

“良い香りを伴って行われる礼拝は、通常の状態による礼拝70回分よりも多くの美徳を有する” 

また、イマーム・サーデグ自身によれば、預言者ムハンマドは、良い香りが心を強めてくれると述べたと言われています。

もっとも、これまで清潔であることについてお話した内容は、単に物質的な側面や肉体のみに限られません。むしろ、表面的な清潔さや身だしなみは、心の身だしなみを整え、神を思い起こすことや誠実さ、謙虚さといった美徳を身に着けるための導入部でもあります。そして、このことはモスクにおいて身だしなみが必要とされる重要な理由でもあります。

イスラムの伝承によれば、神は聖母マルヤムの子イーサーに啓示を下し、イスラエルの民に清らかな心や謙虚な考え方、清潔な手以外のものを持って、神の家に入ることを禁止させたとされています。このことから、この伝承に基づく本当の清潔さとは、次の3つに集約できます。1つは、あらゆる穢れや罪から乖離し、浄化された心であり、2つ目は神に対してへりくだり一切の裏切りのない眼差し、そして3つ目は疑わしい手段などで得られた違法な富に汚されていない手です。

 

それでは、ここからはこれまでの2回の番組の続きとして、世界で最も優れたモスクとされ、マスジェドル・ハラームと呼ばれる、メッカのカアバ神殿についてお話することにいたしましょう。

カアバ神殿の建物は、堅固な黒い石で造られており、普段は幕がかけてあります。1630年に大規模な改修工事が行われて以来、現在まで残っているこの聖殿の石材は、それぞれ異なり、最大のもので縦が190センチ、横が50センチ、高さが28センチあり、最も小さいもので縦が50センチ、横が40センチとなっています。

神の家とされるカアバ神殿の威厳を守り、その壁を保護するため、カアバ神殿に初めて幕をかけたのは、預言者イブラーヒームの息子のイスマーイールでした。この数世紀においては、カアバ神殿は主に金の糸で刺繍を施した黒い幕で覆われていましたが、他の色が使われたこともありました。キスワと呼ばれるこの黒い幕は毎年、イスラム暦の巡礼月ゼルハッジャ月に、巡礼者がアラファート砂漠に向かう際に取り替えられます。もっとも、神殿の内側にも幕がかけられており、これは数年に1回の割合で交換されます。それは、この内幕は直射日光に当ったり、巡礼者により引っ張られたりしないため、それほど頻繁に傷むことがないからです。

 

カアバ神殿を含めたマスジェドルハラームの一部に、ザムザムの泉があります。この泉は、カアバ神殿から21メートル離れています。

ザムザムの泉が発見された経緯は、次のようなものです。預言者イブラーヒームは神の命により、妻ハージャルと息子のイスマーイールを、灼熱し乾燥したメッカの地に連れてきて、彼らを神に委ねました。しばらくして、ハージャルが持参していた飲み水が尽きてしまいました。そこで、ハージャルは水を求めてサファーとマルワの2つの丘の間を7回行き来しました。しかし、一滴の水も見つけられずにがっかりして息子のイスマイルのもとに帰ってきたとき、突然神の奇跡により。イスマーイールの足元から泉が湧き出し、水がほとばしり出てきたのです。ハージャルはこのとき、水に向かって「動くな、集まれ」を意味するザムザムという言葉を発しました。このことから、この泉はザムザムの泉と呼ばれるようになりました。

しばらく経ってから、メッカに住んでいたジュルフム族の人々は、この地域に水源があることに気づきました。そのため、井戸となり豊かな水の湧き出るこの泉のそばに住むようになりました。当初、ザムザムの井戸はその土地の水を確保する手段とされていましたが、次第にこの周辺にはその他にも井戸が出現しています。

 

実際に、毎年カアバ神殿への巡礼のため多くの人々がメッカを訪れるようになったことから、水の確保により多くの手間と労苦が必要となりました。このため、イスラム以前からメッカの重要な役職の1つは、給水役とされていたのです。イスラムの出現当時、巡礼者にザムザムの泉から給水する役目は、預言者ムハンマドの父方のおじである、アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブが担っていました。彼は、イスラム以降にも、マスジェドルハラームの境内にザムザムの泉の水を飲めるようにした公共の水飲み場を設置しています。この水飲み場はその後、拡張のためマズジェドルハラームの東に移転されました。

1955年には、ザムザムの井戸に水力モーターが設置されました。時の経過とともに、巡礼者の数が増大したことから、カアバ神殿を含めたマスジェドルハラームにいくらかの変更が加えられました。1964年には、カアバ神殿の周りを回る巡礼者の一箇所への集中を防ぐために、ザムザムの井戸に関連する設備は地下に移転しました。これにより、ザムザムの井戸は、マスジェドルハラームの地下およそ5メートルのところに設けられることになりました。近年では、ザムザムの井戸は破壊され、ザムザムの水をポンプでくみ上げてからマスジェドルハラームの敷地外に移送し、浄水、冷却されてから再び、マスジェドルハラームに移送される仕組みになっています。

 

ザムザムの水の重要性と、この水を飲むことによるご利益については、数多くの言い伝えが残されています。預言者ムハンマドによれば、ザムザムの井戸は世界で最も良い井戸とされています。ムハンマド自身も、頻繁にこの水を利用しており、どこにいても自らの教友に対し、飲料水や礼拝前の沐浴に使う水をこの井戸水から調達するよう求めていたということです。イスラム教徒は、メッカ巡礼を行った後には、ザムザムの水を縁起物として故郷に持ち帰るのが習慣となっています。それは、預言者ムハンマドも他人に贈り物を渡そうとしていた時にはいつもザムザムの水を飲料水として贈ったことによるものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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