8月 14, 2017 21:50 Asia/Tokyo

14日月曜、イラン暦モルダード月23日は、イスラムの抵抗の日とされています。

2006年8月13日、ヒズボッラーは33日間戦争でシオニスト政権イスラエルに勝利しました。

イスラムの抵抗の日

 

この戦争で、シオニスト政権は、数日間の戦争で目的を達成できると想定していました。しかし、ヒズボッラーがシオニスト政権の最新鋭の船舶をベイルート沖のレバノン領海内で撃沈し、シオニスト政権は開戦4日目にして、空爆では進展がないと発表しました。

ヒズボッラー

 

2週目からは、シオニスト政権は3万の兵士をレバノンとパレスチナの国境に派遣し、地上戦を展開しました。しかし、地上戦でも作戦を遂行できませんでした。シオニスト政権軍の司令官はシオニスト系ジャーナリストに次のように語りました。

「我々は誤って戦争を行った」

最終的に、開戦から33日後、安保理決議1701が採択され、この戦争は終了しました。

33日間戦争は、単にイスラエルが敗北し、目的を達成できなかっただけでなく、重要な結果を伴うことになりました。

ヒズボッラー

 

イスラエル軍の不敗神話の終焉;

この33日間戦争は、イスラエル軍の不敗神話を終わらせました。それは、これまでになく、大量の非通常兵器を投入して空爆を行ったにもかかわらず、レバノンで立場を確立することができなかったからです。実際、シオニスト政権はミサイル防衛システム・アイアンドームに巨額の費用を投じたのにもかかわらず、このシステムはヒズボッラーのミサイルに基本的に対抗できませんでした。

イスラエルはこの33日間戦争で、最大の被害をこうむりました。軍高官83人、入植者39人が死亡し、1187人以上の入植者や軍関係者が負傷しました。また、多くの民間人も精神的な被害を受けました。シオニスト政権はこの戦争で、1日あたり1億1000万ドルを費やしました。この戦争の結果は、2007年度のシオニスト政権の予算が明らかにしています。この予算では、4億5千万ドルが北部の占領地の復興資金として割り当てられました。

この戦争の結果は、シオニスト政権にとって極めて重大であり、終戦においてアメリカが「この戦争における勝者はいない」というほどのものでした。この表明は、イスラエルがこの戦争で敗北したこと、世界で4番目に大きい軍隊を持つ政権が、どこの国の軍事支援も受けていなかったヒズボッラー軍に対抗できなかっただけでなく、大きな経済的、人的被害をこうむることになったということを示しています。

ナスロッラー事務局長

 

ヒズボッラーの指導者、ナスロッラー事務局長は、昨年8月に、33日間戦争勝利10周年記念に際して演説を行い、シオニスト政権の体制は内部から揺らぎ、イスラエルの人々の軍に対する信用は失墜した、また、この政府高官や軍高官は、イスラエルの力が限定的であることを理解した、こういった事柄はこの戦争の最も重要な結果の一部だとしました。

 

ヒズボッラーと抵抗勢力、中東における新たな役者の出現;

33日間戦争の重要な結果のひとつには、ヒズボッラーを中心とした、新たな役者が中東地域に出現したことがあります。この33日間戦争では、シオニスト政権の重要な目的、つまりイスラム運動としてのヒズボッラーを滅ぼすという目的を遂げられなかっただけでなく、ヒズボッラーや抵抗勢力のすべては、中東地域における新たな役割を果たすものとして、無視できない存在になりました。アメリカの思想家ノーム・チョムスキー氏は次のように語っています。

チョムスキー氏

 

「現在、地域でイスラム思想に基づく新たな政治的アイデンティティが形成されつつある。この流れは、こういったグループがイランの支援を得て、政治的な力を得る結果を生み出すことになる」

チョムスキー氏の分析は現実となっています。

第1に、ヒズボッラーのレバノンの政治的構造における役割は無視できないものになっています。2008年、ナスロッラー事務局長を指導者とする3月8日連合が、対抗勢力の3月14日連合に対して結成され、この2つの連合は、レバノンにおける多くの政治的ポストを獲得しています。

第2に、レバノンの国内の勢力と共に、地域、地域外の大国も、ヒズボッラーに対して否定的な見方を持っていながら、レバノンにおけるその政治的な地位や役割を受け入れざるを得ず、その例というのが、2014年から2016年における、レバノンの新大統領の選出であり、最終的に、ヒズボッラーが支持するアウン大統領を信任せざるを得ませんでした。

第3に、ヒズボッラーはレバノンの国境を守る中、とくにシリアとの国境におけるテロとの戦いで大きな役割を果たしており、中東の混乱した状況におけるレバノンの領土保全は、ヒズボッラーの軍事力や防衛力の結果なのです。

第4に、ヒズボッラーは地域レベルでも、特に軍事や安全保障において、非常に有能な勢力となっています。この能力は現在、シリアで明らかです。ヒズボッラーは今日、シリア軍と共に、テロとの戦いにおける重要な勢力のひとつであり、このため、シリア反体制派の攻撃対象となっているのです。

 

イランの軍事力の証明;

33日間戦争の最も重要な結果のひとつは、シオニスト政権イスラエルの失敗が、イランの中東における地位の向上につながったことです。なぜなら、ヒズボッラーはイランの直接的な支援を受けているからであり、ナスロッラー事務局長も、たびたびこのことを認めています。

この戦争は、国内の能力によるイランの軍事力や防衛力が、中東地域において決定的だったということを示しました。イランは中東で侵略的なアプローチを取っていないものの、その防衛力は、敵の侵攻を失敗に終わらせ、敵に大きなダメージを与えるほど強力です。

一部のアナリストも、「当時のアメリカのブッシュ大統領にとっても、この33日間戦争はシオニスト政権とヒズボッラーの戦いを超えていた、それはアメリカにとって、地域におけるイランの勢力伸張に対抗するための機会であったからだ、彼らはシオニスト政権がレバノンで勝利することで、地域の全体的な政治バランスが変わることを期待していた」としています。しかし、ブッシュ大統領の努力は水泡に帰し、地域におけるイランの地位が向上しました。アメリカの著名なジャーナリスト、シーモア・ハーシュ氏は、次のように語っています。

「ヒズボッラーが驚くべき抵抗力を持ち、イスラエルの空爆にもかかわらずイスラエル北部に絶え間なくミサイルを発射できたことは、アメリカのホワイトハウスの大きな失望になったと思われる。彼らはイランに圧力を加えようとし、空爆がイラン国内の不安定化の要因になると考えていたが、それも失敗した。」

 

イラク人民動員機構、イエメン・フーシ派などの新たな抵抗の支流;

イラク人民動員機構

 

明らかに、33日間戦争、とくにヒズボッラーがここ数年間、シリアの対テロ戦争に直接的な役割を果たしたことは、新たなヒズボッラーの支部や、同様のグループがほかの国にも結成される上での重要な経験でした。イラクの民兵組織PMU・人民動員機構は、イラクのシーア派指導者スィースターニー師の教令により、2014年、テロとの戦いのために結成され、イラク各地におけるテロ組織ISISからの占領解放作戦で否定できない役割を果たしています。イエメンのフーシ派も、サウジアラビアと癒着した政権に対する抵抗の中で結成され、2015年からサウジアラビア連合軍のイエメン侵略に抵抗しており、これによりサウジアラビアはいわば泥沼のような状態に陥っています。

この状況により、中東における抵抗の中軸の政治的な地位は高まっています。このため、ヒズボッラーに反対して、彼らをテロ組織に指定する者たちは、イエメンのフーシ派やイラクのPMUの活動にも反対しており、彼らをテロ支援で非難しています。

ヒズボッラーは1980年に組織されましたが、2006年の33日間戦争は、イスラエル軍の不敗神話を消滅しただけでなく、中東において大きな力を持った新たな役者の出現の吉兆となりました。今日、イラクのPMUやイエメンのフーシ派は、レバノンのヒズボッラーを模範としています。