6月 03, 2018 16:31 Asia/Tokyo
  • 真珠 
    真珠 

アブドッラーは、自分の宝石を眺め、それを優しく撫でました。

彼は宝石が好きでたまりませんでした。その中に、いくつかの大粒の真珠がありました。アブドッラーは毎日、袋からその真珠を取り出してはうっとりと眺め、再び袋にしまう、ということを繰り返していました。それはまるで、真珠がなくては夜も日も明けずといったような風情だったのです。

 

ある日、アブドッラーは、大粒の真珠を掌で転がしながら、それに穴を開けてみようと思い立ちました。そうすれば、妻のために美しい首飾りに仕上げて、プレゼントすることができるでしょう。アブドッラーは早速、真珠を袋に入れ、それらを箱にしまいました。まずはバザールに行かなければなりません。マフラーを巻き帽子をかぶって、家を出ました。バザールまではそれほど遠くないので、歩いて行くことにしました。いくつかの路地を通り抜け、バザールに着くと、しばらく歩き回って、探していた人物を見つけました。その人物とは、とても腕のよい宝石職人のエバードという名の若者でした。アブドッラーは、エバードに真珠に穴を開ける細工をお願いしました。そして、その報酬を100デルハムと決めたのです。

 

二人は一緒にアブドッラーの家へと向かいました。エバードは、アブドッラーの家に入った瞬間、その壮麗さに息を呑みました。彼の家はとても広く、庭は色とりどりの花や植物で埋め尽くされ、その中央には澄んだ水を湛えた池がありました。広間に入ると、壁や棚には見るからに高価な絵画や置物が飾られていました。アブドッラーはエバードに向かって言いました。

「ここで待っていてください。今すぐ真珠を持ってきます」 

アブドッラーはそう言うと、広間を出て行きました。

 

周囲を見回していたエバードは、ふと部屋の隅に、美しい大きなハープが立てかけてあるのを見つけました。そこでハープに近寄り、それを優しく撫でて、弦に手をかけました。とても優しい音色が響き、それは大広間の静けさの中に溶けていくかのようでした。ちょうどそこへ、アブドッラーが広間に入ってきたのです。アブドッラーは、エバードが奏でたハープの音色に目を見張り、問いかけました。

「この楽器が何だか知っているのですか?」 

エバードは答えました。

「もちろんです。これはハープでしょう?」 

アブドッラーは尋ねました。

「あなたはハープの弾き方を知っていまするんですか?」 

エバードが頷くと、アブドッラーは言いました。

「それならちょうどよい。作業を始める前に、少し弾いてみてくれませんか?」

                         

エバードはアブドッラーに請われるままにハープを弾き始めました。彼が弦を爪弾くたびに心地よい音色が響き渡りました。アブドッラーはその音色に聞き入りました。エバードはハープを奏で、アブドッラーはその中に浸っていました。昼になりました。エバードが弾くのをやめ、ハープを脇に置こうとすると、アブドッラーが言いました。

「何をしているんです?もう少し聞いていたいのです。まだ早いでしょう。もう少しの間、弾いてください」

エバードは、真珠に穴を開けることが気にかかっていましたから、アブドッラーに向かって言いました。

「どうやら、私をここに連れてきた目的をお忘れのようですね。本来の仕事を済ませなければなりません。ずいぶんと時間が経ってしまいました。このままだと今日のうちに作業を終わらせることができなくなってしまいます」

真珠のことを完全に忘れていたアブドッラーは、言いました。

「確かにあなたの言うとおりです。でも夕方までにはまだ時間があります。昼食を食べてからでも間に合うでしょう。だからもう少し弾いてください。あなたは本当に素晴らしい腕の持ち主だ」 

エバードはその言葉に感謝を述べ、再び弾き始めました。アブドッラーはハープの音色に聞きほれ、時折、一緒にそのメロディーを口ずさんだりしていました。

                         

秋の太陽の光はだんだんと弱まって、窓の外は、もう路地が見えなくなるほど暗くなっていました。真珠は手がつけられないまま、机の上に置かれていました。アブドッラーはまだ、ハープが奏でる心地良い旋律の中に浸っていました。おもむろにエバードが、ハープを脇に置くと立ち上がって言いました。

「アブドッラーさん、もうすぐ夜になってしまいます。家に帰らなければなりません。私の今日の賃金をくださいませんか?」 

アブドッラーは驚いて言いました。

「今日の賃金ですって? あなたは今日、私が頼んだ仕事にまったく手を付けていないじゃありませんか。ほら、真珠を見てごらんなさい。ですから私が賃金を支払わなければならない義務はありません。また明日、来てくれれば、そのときに賃金を渡しましょう」

エバードは、アブドッラーの言葉に傷ついて、言いました。

「私はあなたのために、ここにいたのです。朝から今まで、私にハープを弾かせたじゃありませんか。私はあなたがそうおっしゃるからそうしたのです。真珠に穴が開いていないのは、私のせいではありません。あなた自身が望んだことです」 

アブドッラーは彼の言葉を気にも留めずに言いました。

「今日、あなたに支払う賃金はありません。仕事をしていない人に賃金など払えません。もし賃金がほしいのなら、ここに残って今から作業を始めればいいじゃありませんか」

 

二人はそれぞれ自分の言い分を譲ろうとしませんでした。いつまでたっても議論は平行線をたどるばかりです。とうとう、判事のところへ行って裁定を仰ごう、ということになりました。

 

アブドッラーとエバードはここまでのいきさつ、真珠とハープの話を判事に話して聞かせました。判事は、二人の話をじっくりと聞いた後、アブドッラーの方に体を向けると言いました。

「この若者の言い分が正しい。彼はあなたに雇われていたのだから。あなたは彼にハープを弾くよう頼みました。別の仕事で雇っていたとはいえ、100デルハムを支払うべきです。もしあなたがそんなにもハープの音色に酔いしれていなかったら、今頃、真珠に穴を開ける作業は終わっていたでしょう。そして、ここに二人で来る必要もなかったわけです。アブドッラーさん、あなたはこの若者に、完全な日当を支払うべきです」

 

アブドッラーは、判事の下した裁定に従うよりほか、ありませんでした。結局アブドッラーは、エバードに100デルハムを支払うことになったのです。アブドッラーは、真珠に穴を開けてもいないのに、100デルハムを失ってしまいました。そこではじめて、自分がどんな過ちを犯したかに気づいたのです。アブドッラーは、路地をゆっくりと歩き、家へと向かいながら考えました。

「これは私の人生のようだ。自分が本来やるべきことを忘れ、遊んでばかりいれば、あっという間に人生は過ぎてしまう。そして、この世を去るときには、あの世に持っていくのに、価値のあるものなど何ひとつ残っていないのだ」 

 

夜も更けつつありました。アブドッラーは思わず早足になりました。そう、急いで家に帰って、まずはあの真珠を宝石箱の中に戻さなければなりませんでしたから。