6月 03, 2018 18:43 Asia/Tokyo
  • コーラン第47章ムハンマド章
    コーラン第47章ムハンマド章

今回は、コーラン第47章ムハンマド章を見ていきましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

コーラン第47章ムハンマド章がムハンマドとされたのは、第2節で、イスラムの預言者ムハンマドの名前が述べられているためです。この他、この章では、イスラムの敵との戦争について語られています。この章は全部で38節あり、メディナで下されました。

 

ムハンマド章にあるのは、信仰と不信心、敬虔な人々と不信心者の状態の比較、敵との戦いと戦争捕虜に関する注意点、偽善者たちの行動、地上における旅と以前の民たちの運命、神の道における努力の一つとしての施しの呼びかけ、不信心者との和平、といった事柄です。

 

ムハンマド章の第1節は、不信心者の状態について述べています。

 

「不信心に走り、[人々を]神の道から妨げた者たち、[神は]彼らの行いを損なわせる」

 

この節は、イスラム教徒に対して戦争の炎を煽り立てる、多神教徒や不信心者たちの指導者に触れています。彼らは自分たちが不信心に走っただけでなく、さまざまな策略によって、他の人たちをも、神の道から遠ざけようとしました。神は、彼らがイスラムを滅ぼし、イスラム教徒を打ち倒すために行っていたすべてのことを打ち消し、彼らが目的を実現するのを阻止しました。

 

ムハンマド章の第2節を見てみましょう。

 

「信仰を寄せ、ふさわしい行いをした人々、ムハンマドに下された事柄を信じる人々、神は彼らの罪を赦され、彼らの行いを改善される。その事柄は、神から下された真理である」

 

この節は、敬虔な人々の特徴を述べています。まず、信仰について述べ、それから預言者ムハンマドに下された事柄を信じることについて触れています。この節は実際、イスラムの預言者ムハンマドの教えや計画を強調するものであり、預言者に下されたことを信じなければ、神への信仰は完成しないという事実を明らかにしています。

 

預言者ムハンマドに下されたことへの信仰について述べた後、この節は、彼に下されたことは真理であり、神からのものであると強調しています。これは実際、預言者ムハンマドが人類にもたらした教えや宗教をはっきりと認めるものです。もちろん、敬虔な人々はそれを真理と認め、信じています。

 

ムハンマド章の第3章には次のようにあります。

 

「これは、不信心者が偽りに従い、敬虔な人々が、神から下された真理に従ったためである」

 

信仰と不信心は、真理と偽りに分かれます。敬虔な人間は真理に従い、不信心者は偽りに従います。そのため、前者は勝利し、後者は失敗するのです。

 

コーラン第47章ムハンマド章

 

ムハンマド章の最初の3節は、イスラム教徒に対し、第4節で述べられている戦争の重要な指示に耳を傾ける準備をさせるための節です。戦争は、特別な状況であり、圧制や侵略に立ち向かったり、悪や堕落、混乱を抑えるために起こるものです。明らかに、戦場で侵略的な敵に対峙したとき、相手に大きなダメージを与えられなければ、自分が滅びてしまいます。そのため、しかるべきときにしかるべき行動を起こすことが、理にかなった論理的な行いです。

 

ムハンマド章の第4節は、敵に対応する際に断固とした態度をとる必要性を指摘し、「敵を打ち倒し、屈服させるまでこの攻撃を続けなさい。その上で捕虜にし、彼らを強く縛りなさい」と強調しています。

 

この節では、敵の抵抗が崩れる前に捕虜にしてはならないという戦争の原則が述べられています。捕虜にしてしまうと、軍隊の本来の義務が損なわれてしまいます。そのため、敵に勝利した後で捕虜にする方がよいでしょう。また、敵を放っておいてしまえば、再び兵士を動員し、攻撃を開始する可能性があるため、敵の兵士を捕虜にする必要があるのです。敵を捕虜にした後には、攻撃を仕掛けられないよう、彼らをきちんと見張る必要があります。しかし、敵の勢力を捕虜にした後にも、彼らの人権を守る必要があります。

 

この節では、戦争が終わった後の捕虜への対応の仕方についても次のように述べられています。

「捕虜たちに情けをかけ、見返りを得ることなく解放するか、身代金を取って解放するがよい」

 

この節は次のように続けています。

「戦争が終わるまで、敵との戦いや捕虜を取ることを続けなさい。手を引くのは、敵の対抗力が崩され、戦争の炎が消えたときである」

 

ムハンマド章の第4節と5節は、正義と悪の戦いで命を落とした殉教者たちに、神は決して彼らの行いを無駄にはしないこと、神がまもなく、彼らを導き、彼らの行いを改めることを述べ、彼らをさまざまな特徴を明らかにした楽園に送る、という吉報を与えています。

 


ムハンマド章の第7節は、興味深い表現によって、敬虔な人々に敵との戦いを呼びかけ、このように語っています。「信仰を寄せた人々よ、あなた方が神を助ければ、神もあなた方を助け、その歩みを強固なものにされる」

 

真理の敵や圧制者との戦いは、正しい信仰のしるしです。神を助けることは、神の教えを助け、預言者とその教えを助けることを意味します。この節は、「神はあなた方を助けてくださる」としています。この助けは、さまざまな形で行われます。人間の心は、信仰の光で照らされ、その意志が強化されます。さまざまな出来事はその人に都合のよいように変化し、さまざまな活動は実りあるものとなります。しかし、神の助けの中でも、この節は、歩みの確かさを特に強調しています。なぜなら、敵に対する抵抗は、勝利の最大の要素であり、戦争で勝利するのは、歩みの安定している人々であるからです。

 

敬虔な人々は、神の助けを享受しています。神の天使たちが彼らを助け、彼らをさまざまな過ちから守ります。しかし、不信心者の場合はそうではありません。信仰のない人々が過ちを犯したとき、彼らを助けてくれるものはなく、崖から墜落します。敬虔な人々の行いは恩恵にあふれていますが、不信心者の行いは基盤がなく、すぐに消え去ってしまいます。

 

ムハンマド章の第9節は、不信心者が転落する理由をこのように述べています。

「これは、彼らが神から下されたものを嫌悪したためである。そのため、神はその行いを消滅させる」 これについて、第11節は、神の清らかな本質に守られている人々は、さまざまな問題において助けを得、結果的に自分の目標に到達するが、不信心者たちは、その行いを台無しにされ、その行いの結果は消滅だとしています。この節を見てみましょう。

 

「これは、神が信仰を寄せた人々の守護者であるが、不信心者たちには守護者はいない」

 

 

ムハンマド章の第35節は、戦場の困難を逃れるために、和平を提起する信仰の弱い人々に触れ、このように述べています。「和平は正しい行いではあるが、それは適切な場合、つまり、イスラムの至高なる目的を満たし、イスラム教徒の名誉や偉大さを維持するときのことである。だが、あなた方の勝利や優勢の兆しが明らかになった今、なぜ、和平を提案し、その勝利を完遂させないのか? そのような和平は実際、妥協であり、無力と卑劣さからくるものである」

 

「だから今、決して気を緩めてはならない。[敵に自分にとって屈辱的な]和平を呼びかけるべきではない。あなた方は優勢であり、神はあなた方と共にいるというのに。あなた方の行い[の利益]は減らされない」

 

この節は終わりに、イスラム教徒の士気を高めるため、「神はあなた方とともにあり、その行いの利益は減らされない」としています。

神に味方される人は、あらゆる勝利の要素を持ち、弱さに陥ることはありません。この節は、「彼らが和平に傾いたら、汝も和平に傾き、神に頼りなさい。神はすべてを聞き、見ておられる」とする第8章アル・アンファール章戦利品、第61節の内容に矛盾するものではありません。これら2つの節は、ひとつが合理的な和平について、もうひとつは不適切な和平について述べています。ひとつは、イスラム教徒の利益を確保するものであり、もうひとつは、勝利を目前にしながら、意志の弱い人々によって提起される和平です。

 

ムハンマド章の最後の節は、神の道における施しを強調し、次のように語っています。

 

「覚えておきなさい。あなた方は、神の道における施しを求められる人々である。それであなた方の中には吝嗇に走る者がいる。誰でも吝嗇に走る者は、自分に損をさせているだけであり、神は他を必要としない。あなた方は[皆、]他者を必要としており、もし背を向けるのであれば、神はあなた方の代わりに別の一団をもたらすだろう。彼らはあなた方と同じにはならない」

 

施しには多くの効果があります。階級格差がなくなり、社会が安全になり、憎しみの代わりに親密さが広がります。来世でも、神は、施しをする人々に多くの恩恵を与えます。そのため、もし吝嗇に走れば、自分自身に損害を与えるだけなのです。

 

この節はこのように語っています。「神は豊かであり、あなた方の施しを必要とはしていない。現世と来世で、神の慈悲と恩恵を必要とするのはあなた方である。原則的に、すべての創造物は他を必要としており、他を必要としないのは、神のみである」

この節の最後の文章は、イスラム教徒への警告になっています。「神は、あなた方を神の預言者の援助者、宗教の支持者とし、あなた方に清らかな教えを守らせようとした。もしあなた方が背を向ければ、神はその任務を別の一団にゆだねる。その一団はあなた方と同じではない。このような大きな恩恵の価値を知るべきである」