6月 28, 2018 22:30 Asia/Tokyo
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今回は最終章のコーラン第114章アン・ナース章人々をお送りしましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

コーラン、天からの言葉もとうとう今回が最終回です。今回は最終章のコーラン第114章アン・ナース章人々をお送りしましょう。

 

アン・ナース章はメッカで下され、全部で6節あります。

 

ここで、アン・ナース章をお聞きください。

 

 

「慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

言え、人間の主に加護を求める。人間の所有者、人間の支配者、人間の神に。こっそりと忍び込み、ささやく者の悪から。それが人間の胸にささやきかける。ジン・精霊であろうと、人間であろうと」

 

アン・ナース章の第1節から3節までは次のようにあります。

 

「言え、人間の主に加護を求める。人間の所有者、人間の支配者、人間の神に」

 

人間は常に、悪魔の誘惑にさらされています。人間の科学的、社会的な地位が高まれば高まるほど、悪魔の誘惑も増加します。こうしてその人は真理の道から逸脱し、堕落に陥ります。アン・ナース章は、その前のアル・ファラグ章と同じように、さまざまな害悪から偉大なる神に加護を求めることについて述べられています。ただし、この2つの章で異なるのは、アル・ファラグ章では、悪の種類が提起されているのに対し、このアン・ナース章では、人間の心を惑わす悪魔のささやきのみについて語られていることです。また、イスラムの預言者ムハンマドに対し、指導者、模範として、ジン・精霊であろうと、人間からのものであろうと、あらゆる誘惑の悪から神に加護を求めるよう指示しています。

 

コーラン第114章アン・ナース章人々

 

アン・ナース章の前半の節では、神が人間の主であること、所有者であること、支配者であることという3つの点を強調しています。これらは皆、人間を教育し、人間を悪魔のささやきから救うことに直接関係しています。アン・ナース章の最初の節では、神が主であることを認め、人間を神の教育のもとにおいています。また、第二節では、人間が神に所有されていること、神に服従することに触れています。そして第三節では、人間が神を崇拝の対象として、神以外のものへの礼拝を避けるようにとしています。

 

神が人間の主であることについては、不信心者や敬虔な人間、女性や男性など、すべての人間を含んでおり、神はすべての僕たちを成長に導こうとしています。そのため、人間がジンや悪魔から嫌がらせを受け、本来の道を外れるのを許しません。ただし、人間自身がそれらに従うことを受け入れ、別の道を歩み、成長を拒んだ場合は別です。

 

コーランの中で、神が悪魔に、「僕たちをどのようにして迷わせるのか?」と尋ねると、悪魔はこのように答えています。「地上における罪を彼らの前に美しく見せ、僕たちの心を地上の魅力や飾りに向けさせる」 このようにして、悪魔は誤った行いを人間の目に美しく見せ、偽りや悪を、真理や正義として飾り、嘘を本物に、罪を礼拝に、迷いを導きに見せようとします。このようにして、悪魔は人間を現世に執着させ、道に迷わせます。限られた知識しか持たず、信仰心の弱い人間は、このようにして悪魔に欺かれ、はかない現世に執着するのです。

 

悪魔とその軍勢は、姿を隠すのと同時に、その計画も明らかにはしません。これは、悪魔が正体をあらわすのを待っていてはならない、ということです。密かに誘惑し、表面を取り繕ったり、うそを並べたりして真理を隠すのが、悪魔のやり方です。

 

密かに誘惑する人々は、同じグループや集団、同じ階層に属し、同じ姿をしているわけではありません。彼らはジンと人間の間に散らばっており、あらゆる集団に存在します。逸脱を促す仲間、圧制的な指導者、堕落した作家、表面的な思想、誘惑的なマスメディア、これらは皆、密かに誘惑をする人々のカテゴリーに入り、人間は、彼らの悪から逃れるために、神に助けを求めなければなりません。とはいえ、この道において、人間は、悪魔から解放されるためにすべての手段を利用しなければなりません。そのため、言葉においても、行動においても、神に助けを求め、罪や悪を悔い改めなければなりません。

 

シーア派6代目イマーム、サーデグは次のように語っています。「『悪いことを行ったり、自分に圧制を加えたりした人々は、神のことを思い起こし、罪の赦しを求める』という、コーラン第3章アール・イムラーン章イムラーン家の第135節が下されたとき、悪魔のイブリースは、メッカの山の上に行き、大きな声で叫び、軍の司令官たちを集めた。軍の司令官たちは言った。『私たちをここに集めるとは、何事でしょうか?』 するとイブリースは言った。『この節が下された。この節は我を震撼させる、人類の救いの源である。これに対抗できる者は誰か?』 すると、悪魔の一人が、『私にならできます』と言って、自分の計画を明らかにした。イブリースは彼の計画を受け入れなかった。別の者が立ち上がって、自分の計画を説明した。それも認められなかった。その後、密かな誘惑者と呼ばれる悪魔が立ち上がって言った。『私にできるでしょう』 イブリースは、どのような方法かと尋ねた。ひそかな誘惑者は言った。『彼らをさまざまな約束や願い事に夢中にさせます。こうして罪に穢れさせ、彼らが罪を犯したときに、罪の悔悟を忘れさせるのです』 イブリースは、『お前にならできるだろう』と言い、その役目を最後の審判のときまで彼に委ねた」