10月 03, 2018 17:22 Asia/Tokyo

コーラン 第29章 アンキャブート章 蜘蛛 第19節~第23節

慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において

第19節  

「あなた方は見なかったか、神がどのように創造を開始し、その後それを戻すのかを。もちろん、それは神にとって容易なことである。」(29:19)

أَوَلَمْ يَرَوْا كَيْفَ يُبْدِئُ اللَّهُ الْخَلْقَ ثُمَّ يُعِيدُهُ إِنَّ ذَلِكَ عَلَى اللَّهِ يَسِيرٌ(19)

 

第20節

「[預言者よ、]言え、『地上を旅してよく観察しなさい。[神が]どのように創造を開始したのかを。それから神は来世を生じさせる。まことに神は、すべてのことに全能であられる』」(29:30)

 

قُلْ سِيرُوا فِي الْأَرْضِ فَانظُرُوا كَيْفَ بَدَأَ الْخَلْقَ ثُمَّ اللَّهُ يُنشِئُ النَّشْأَةَ الْآخِرَةَ إِنَّ اللَّهَ عَلَى كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ(20)

 

前回の番組では、預言者イブラヒームと多神教徒の会話についてお話ししました。預言者イブラヒームは、偶像を崇拝したり、偶像に日々の糧を求めるのをやめるよう人々に呼びかけていました。この2つの節と、その後のいくつかの節は、来世と復活を証明しています。つまり、多神教徒が否定し、あり得ない出来事と考えるものです。多神教徒は、預言者イブラヒームの時代も、イスラムの預言者ムハンマドの時代にも、それを否定していました。

 

この2つの節は、多神教徒に対し、理性と思考に訴え、亡くなった存在物を再び創造することは、彼らを一度、創造した神にとって、容易なことであることを悟るよう求めています。また、現世の周囲の存在物を見つめ、この世界の創造主が、あらゆることを行う力があることを悟るよう求めています。そのため、人間を再び創造することは、神にとってたやすいことなのです。

 

第19節~第20節の教え

●          コーランは、常に人間に、創造の真理を理解するために考えるよう呼びかけています。

●          創造は、存在物に生と死をもたらす上での神の無限の力と知識を象徴するものです。

●          イスラムでは、真理を突き止めるために目的のある旅をし、自然について研究することを勧め、強調しています。創造について詳しく研究することで、神をよりよく知ることができるでしょう。

●          復活の可能性の最高の根拠は、存在物を現す上での神の力です。

 

第21節  

「[神は]お望みの者に責め苦を加え、お望みの者に慈悲を与える。あなた方は神のもとに返される。」(29:31)

يُعَذِّبُُ مَن يَشَاءُ وَيَرْحَمُ مَن يَشَاءُ وَإِلَيْهِ تُقْلَبُونَ(21)

 

第22節  

「あなた方は、地上でも天でも[神を]困らせることはできない。あなた方にとって、神以外の助けは存在しない」(29:22)

وَمَا أَنتُم بِمُعْجِزِينَ فِي الْأَرْضِ وَلَا فِي السَّمَاء وَمَا لَكُم مِّن دُونِ اللَّهِ مِن وَلِيٍّ وَلَا نَصِيرٍ(22)

 

人間の死後の生に対する神の力について述べた前の節に続き、この2つの節は次のように語っています。「努力と栽培の時期である現世とは異なり、最後の審判は、清算と収穫の時期である。現世の畑に植えたものの実りを、あなたたちは来世で収穫する。最後の審判の判断者は神である。神はあなたたちの現世での行いを全て知っており、それに基づいてあなたたちに懲罰や報奨を与える。あるいは、神がふさわしいと認めた者に、慈悲や赦しを与える。誰も、現世、あるいは来世で、神の領域を逃れ、天や地で神の力をまぬかれることができるなどと考えてはならない。あなたたちはどこに行こうと、神の支配下にあり、逃げることは意味をなさない。大地のみが神の支配下にあり、もし天の最果てに行けば、神の領域や支配を逃れることができるなどと考えるべきではない」

 

第21節~第22節の教え

●          神の愛情と怒りは互いに隣り合わせであり、善良な人々は神の慈悲に希望を抱き、悪を行う人々は、神の怒りを恐れます。

●          僕に対する神の意志は、コーランの別の節に注目すると、英知と正義に基づいたものであり、神はわずかたりとも、誰かに圧制を加えることはありません。

●          人類の意志と望みが、神の意志や望みに優ることはありません。たとえ、人間がどれほど強く、最新の可能性を有していても、それは変わりません。

 

第23節 

「神の節と[最後の審判での]神との会見を信じない人々は、私の慈悲への望みを失っている。彼らには痛ましい責め苦が下るだろう」(29:23)

وَالَّذِينَ كَفَرُوا بِآيَاتِ اللَّهِ وَلِقَائِهِ أُوْلَئِكَ يَئِسُوا مِن رَّحْمَتِي وَأُوْلَئِكَ لَهُمْ عَذَابٌ أَلِيمٌ(23)

 

前の節では、「最後の審判の際、人々の一団には神の怒りが下り、別の一団には神の慈悲と愛情が注がれる」と述べられていました。この節は、神の赦しや慈悲への希望を失った人々について述べ、このように語っています。「誰でも創造の秩序において、神のしるしを無視する者、あるいは聖典コーランの節をかたくなな心と不信心から否定する者は、間違いなく、最後の審判で厳しい責め苦が下され、神の赦しへの希望はない。なぜなら、創造世界の源である神を否定し、また復活と最後の審判も否定したからである」

 第23節の教え

●          神の慈悲は非常に幅広く、誰でも自分の能力に応じて、それに授かることができます。しかし、不信心や否定は、人間が神の慈悲を利用する道を閉ざします。

●          神の大きな慈悲に失望し、それを奪われる唯一のグループは、不信心者です。

 

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