光の彼方への旅立ち、アンキャブート章(5 )
コーラン 第29章 アンキャブート章 蜘蛛 第24節~第26節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第24節
「だが、彼の民の答えは、ただこう言うだけだった。『彼を殺すか焼いてしまいなさい』 だが神は彼を炎から救った。まことにこの中には、信仰を寄せた人々へのしるしがある」(29:24)
فَمَا كَانَ جَوَابَ قَوْمِهِ إِلَّا أَن قَالُوا اقْتُلُوهُ أَوْ حَرِّقُوهُ فَأَنجَاهُ اللَّهُ مِنَ النَّارِ إِنَّ فِي ذَلِكَ لَآيَاتٍ لِّقَوْمٍ يُؤْمِنُونَ(24)
アンキャブート章では、預言者ヌーフに続いてイブラヒームの運命について述べています。前の節は、預言者イブラヒームが、多神教徒に唯一神の信仰と死後の世界への注目を呼びかけていたことについてお話しました。この節は、このような呼びかけに対する人々の反応について次のように語っています。「彼らは、預言者イブラヒームの論理的な言葉に対し、論理に基づく正しい答えを持っていなかったため、暴力的な行動に出て、世界のすべての圧制者と同じように、イブラヒームに対する厳しい対応を求めた。一部の人々は、彼を燃やしたらいいと提案し、また別の人々は、彼を処刑すれば、私たちは楽になると言った」
コーラン第21章アル・アンビヤー、預言者の第68節から70節では、彼らはとうとう、大きな炎を用意し、預言者イブラヒームをその中に放り投げたとあります。この節は続けて、このように語っています。「彼らは神の預言者を滅ぼそうと陰謀を企てた。だが神は、その預言者が炎に焼かれるのを防いだ」 コーランの別の節でも、神の命により、預言者イブラヒームを包む炎が熱を失い、イブラヒームは無事で全く被害を蒙らなかったとされています。これは、信仰をもつ人々にとって、あらゆる力よりも神の力が優れていると考え、表面的で物質的な力の前に屈しないようにするための最高の教訓です。
第24節の教え
● 宗教の敵の論理は、嫌がらせ、拷問、殺害、処刑です。彼らは心理を理解しようとしないだけでなく、自分たちの権力や栄光、富を保持することだけを考えています。
● 敬虔な人間の数が少ないからといって、彼らが圧制者に屈する理由にはなりません。預言者イブラヒームはたった一人で、不信心者や道に迷った人々に立ち向かい、神も彼を助けました。
● 神の意志は、全てのものに及びます。神は、炎に何かを燃やす力を与えると同時に、その燃やす力をなくすこともできます。
第25節
「またイブラヒームは言った。『まことに[あなた方多神教徒は]神の代わりに偶像を選んだ。それらは現世の生活において、あなた方の間の友好の源になるかもしれないが、最後の審判の日、あなた方の一部は他の人々を否定し、また一部は別の人々を呪うだろう。あなた方の場所は地獄の業火であり、あなた方に援助者はいないだろう』」(29:25)
وَقَالَ إِنَّمَا اتَّخَذْتُم مِّن دُونِ اللَّهِ أَوْثَاناً مَّوَدَّةَ بَيْنِكُمْ فِي الْحَيَاةِ الدُّنْيَا ثُمَّ يَوْمَ الْقِيَامَةِ يَكْفُرُ بَعْضُكُم بِبَعْضٍ وَيَلْعَنُ بَعْضُكُم بَعْضاً وَمَأْوَاكُمُ النَّارُ وَمَا لَكُم مِّن نَّاصِرِينَ(25)
預言者イブラヒームは、業火から救われた後にも導きをやめず、再び偶像崇拝に疑問を呈しました。歴史の観点から、あらゆる部族は自分たちの偶像を誇りにし、それを自分のアイデンティティのしるしと見なしていました。部族の人々は、同じ偶像の崇拝によって結束を固めていました。さらに、彼らはそれによって先人たちの信条を尊重し、彼らが崇拝していたものに礼拝を捧げていると考えていました。
預言者イブラヒームは、彼らに向かってこのように語りました。「偶像を中心に、あなたたちの関係を強化している先人たちとの結びつきは、最後の審判では脆く崩れ去る。そのとき、誰もが自分の罪を他人になすりつけ、この偶像崇拝においてその人を非難する。下の立場の人々は、社会の指導者や偉人たちを呪い、自分たちが道に迷ったのは彼らのせいだと考える。誰も、このような大きな逸脱の責任を負おうとはしない。あなたたちは、先人たちに敬意を表して偶像崇拝を続けているが、最後の審判の日、彼らはなぜ自分たちは考えなかったのか、考えなしに私たちの誤った道を続けてしまったのかとあなたたちを非難するだろう」
第25節の教え
● 社会のアイデンティティと統一の中心は、論理的で正しい事柄でなければなりません。部族の人々同士、あるいは彼らと先人たちを結び付けていた偶像のようなものであってはなりません。
● 人間は、思考や論理によって感情を抑えるべきであり、感情的な結びつきが、人間の思考や信条の種類を決定する要素となるべきではありません。
● 誤った事柄を軸に形作られた現世での友好は、最後の審判で役に立たないだけでなく、敵対や嫌悪へと変わります。
第26節
「ルートは彼に信仰を寄せた。[イブラヒームは]言った。『まことに私は私の主のもとへと移住する。彼は失敗を知らず、英明な方であられる』」(29:26)
فَآمَنَ لَهُ لُوطٌ وَقَالَ إِنِّي مُهَاجِرٌ إِلَى رَبِّي إِنَّهُ هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ(26)
預言者イブラヒームは、不信心者たちが起こした大きな炎によって何の被害も受けず、それを無事に抜け出しました。彼に信仰を寄せ、彼の援助者となった最初の人物はルートでした。ルートは後に預言者となり、イブラヒームの教えを人々の間に広めました。預言者イブラヒームは、このような大きな奇跡を目にしても誰も自分に信仰を寄せないのを見て、彼と父の祖国であるこの土地から、神のために移住し、別の土地の人々を神へといざなうと宣言しました。この移住は、彼をその町の人々の嫌がらせから救うと同時に、別の場所でも唯一神信仰の教えを広めるための任務を続けるきっかけとなりました。イスラムの預言者ムハンマドも、メッカからメディナに移住することで、メッカの苦しい状況から解放されたと同時に、メディナの人々にイスラムへの信仰を呼びかけました。
第26節の教え
● 神の預言者たちは、互いを排除し、さらなる権力を得ようとする王たちとは異なっています。彼らは互いに高めあい、神の宗教を広めることを考えています。ルートも預言者イブラヒームに信仰を寄せ、彼を支援しました。
● 宗教の指導者たちは、場所や時代にとらわれていません。いつでも必要なときに移住します。