光の彼方への旅立ち、アンキャブート章(12)
コーラン 第29章 アンキャブート章 蜘蛛 第56節~第61節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第56節
「信仰を寄せた私の僕たちよ、私の大地は広大である。だから私のみを崇拝しなさい。」(29:56)
(56) يَا عِبَادِيَ الَّذِينَ آمَنُوا إِنَّ أَرْضِي وَاسِعَةٌ فَإِيَّايَ فَاعْبُدُونِ
第57節
「誰もが死を味わう。それで我々のもとに帰されるのである」 (29:57)
( 57) كُلُّ نَفْسٍ ذَائِقَةُ الْمَوْتِ ثُمَّ إِلَيْنَا تُرْجَعُونَ
イスラムの指示のひとつは、信仰を維持するために移住することです。イスラム初期、イスラム教徒たちは多神教徒の激しい圧力を受け、自分たちの宗教的な義務を自由に遂行することができませんでした。そのためイスラムの預言者と真の敬虔な人々は、メッカからメディナに移住し、この町に留まりました。この2つの節は、全体的な原則として、次のように語っています。「自分の町や祖国を大切にする気持ちによって、あなた方の信仰の深まりや神への崇拝が妨げられるべきではない。この世界に常に生き続けると考えてはならない。そのため、人生の目的が、財産や富を蓄え、自分の立場を維持し、強化することだけであってはならない。来世が永遠の住処であることに注目すれば、決して自分の祖国や町に必要以上に執着することはなくなるだろう」
第56節~第57節の教え
● 居住地を選ぶ際、その場所で自分の信仰と宗教を保持できるかということを真剣に考えましょう。
● 宗教を保持するための移住は、信仰を持つ人間の義務のひとつです。
● ある町や地域に執着するために逸脱に陥る人々は、最後の審判でそれを後悔しても、認められません。
● 死は全ての人に訪れるもので、それを逃れる道はありません。そのため、人生の中で、死後のことも念頭に入れて計画を立てましょう。
第58節
「信仰を寄せ、ふさわしい行いをした者たち、我々は間違いなく、彼らに楽園の部屋を与えるだろう。その下には小川が流れ、彼らはそこに永遠に留まる。」(29:58)
( 58 )وَالَّذِينَ آمَنُوا وَعَمِلُوا الصَّالِحَاتِ لَنُبَوِّئَنَّهُم مِّنَ الْجَنَّةِ غُرَفاً تَجْرِي مِن تَحْتِهَا الْأَنْهَارُ خَالِدِينَ فِيهَا نِعْمَ أَجْرُ الْعَامِلِينَ
第59節
「よい行いをした人々の報奨はなんとすばらしいことか。彼らは耐え忍び、主をより所とする」(29:58)
( 59 )الَّذِينَ صَبَرُوا وَعَلَى رَبِّهِمْ يَتَوَكَّلُونَ
この2つの節で、神は、信仰を守るためにさまざまな苦難に耐え、必要な場合には自分の町を離れて移住する人々に、来世では楽園の最高の家に住み、無数の恩恵に授かると約束しています。この2つの節は、信仰を寄せた人々が、神の慈悲の楽園へと導かれるための3つの重要な特徴に触れています。それは、よい行い、忍耐、神への信頼です。よい行いが伴わない信仰は価値がありません。またよい行いは、忍耐がなければ実を結びません。そして忍耐もまた、神を信頼し、より所としなければ、継続されることはないのです。
第58節~第59節の教え
● 楽園と楽園の恩恵を手に入れる条件は、信仰とよい行いです。
● 敬虔な人間が、信仰を持ち続けるために現世で失うことになったものを、神は最後の審判で償い、それ以上のものを彼らに与えてくださいます。
● 忍耐は、人生のさまざまな段階において問題を克服し、成功を手にするための秘訣です。敬虔な人々は、常に敵の嫌がらせや侮辱に晒されるため、他の人以上に忍耐が求められます。
第60節
「ある生き物は、自分の日々の糧すら確保することができない。それとあなた方に日々の糧を与えるのは神である。神はすべてを聞き、知っておられる」(29:60)
(60 )وَكَأَيِّن مِن دَابَّةٍ لَا تَحْمِلُ رِزْقَهَا اللَّهُ يَرْزُقُهَا وَإِيَّاكُمْ وَهُوَ السَّمِيعُ الْعَلِيمُ
信仰を持ち続けるために移住する必要性について述べた前の節に続き、この節は次のように語っています。「不信心者の土地から移住したために職を失い、生活の糧を確保する上で問題に陥ることを恐れてはならない。もし移住が必要ならば、移住しなさい。覚えておくがよい。神は日々の糧を届けてくださる。天と地のさまざまな生き物に日々の糧を与えてくださる神は、あなた方を忘れたりはしない。えさを巣に運び、蓄えることができず、毎日えさを求めて巣を出なければならない動物でさえ、何も見つけずに巣に帰ることはない。それらの日々の糧は神が与えてくださる。人間はそのような動物に決して劣ってはいない。努力によって自分の日々の糧を手に入れることができる」
祖国を離れ、移住したことにより、職を失ったとしても、移住後にそれを償うことは可能です。しかし、もし多神教信仰や不信心に走ったり、圧制に屈したりすれば、それを償うことはできません。なぜなら、多神教信仰や不信心、圧制は、人間を人間性の軸から遠ざけるからです。
第60節の教え
● 神の道における移住が必要になったとき、日々の糧のことを心配する必要はありません。また日々の糧を失うことへの不安から、神の道における移住を踏みとどまってはなりません。
● 敬虔な人間は、常に神をより所としています。日々の糧が絶たれることを恐れて義務の遂行を怠ることはありません。
● 世界の創造主である神は、すべての人間と生き物の日々の糧の確保を保障しています。
第61節
「[神と同等に他のものを据える]人々に、『誰が天と地を創造し、月と太陽を服従させたのか』と尋ねると、彼らは必ず、『神である』と言うだろう。それなのにどうして、彼らは[真理から]逸脱するのか?」(29:61)
( 61) وَلَئِن سَأَلْتَهُم مَّنْ خَلَقَ السَّمَاوَاتِ وَالْأَرْضَ وَسَخَّرَ الشَّمْسَ وَالْقَمَرَ لَيَقُولُنَّ اللَّهُ فَأَنَّى يُؤْفَكُونَ
メッカで暮らし、偶像を崇拝していた多神教徒たちは、神を創造主として認めていました。しかし、自分たちに関わる問題は、太陽や月、星、その他の偶像によるものと考えていました。彼らは、神を創造主として認めてはいましたが、神の神性、つまり神の唯一性を認めていませんでした。つまり、彼らの運命や日々の糧は神の手の中にはなく、それらの問題に神は全く関わっていないと考えていました。興味深いのは、現在も、多くの人々が、神を創造主と考えてはいるものの、その神性を認めておらず、神の指示を実行しないことです。こうした人々は、人間は人生において神を必要とせず、好きなように決断し、行動する権利があると考えています。
第61節の教え
● 信条に関して議論する際には、他人との共通点からはじめ、その後で議論を続けましょう。イスラム教徒とメッカの多神教徒の共通点は、神が創造主であることを信じるところにありました。
● 真理からの逸脱は、全ての人を脅かす危険と損害のひとつです。神の神性を受け入れずに、神を創造主としてのみ受け入れることは、一種の真理からの逸脱です。