光の彼方への旅立ち、ナムル章(3)
コーラン第27章 ナムル章 蟻 第12節~16節
慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
第12節
「[ムーサーよ、]あなたの手を胸元に入れなさい。そうすれば、欠点のない白いものが現われる。[これらは]フィルアウンとその民への9つの奇跡である。彼らは堕落した民である」 (27:12)
وَأَدْخِلْ يَدَكَ فِي جَيْبِكَ تَخْرُجْ بَيْضَاءَ مِنْ غَيْرِ سُوءٍ فِي تِسْعِ آَيَاتٍ إِلَى فِرْعَوْنَ وَقَوْمِهِ إِنَّهُمْ كَانُوا قَوْمًا فَاسِقِينَ (12)
前回の番組でお話したように、預言者ムーサーが、家族と共にエジプトに向かっていたとき、神は彼を預言者に選び、その奇跡として、彼に、「杖を投げなさい」と言いました。ムーサーが言われたとおりにすると、その杖は小さな蛇になり、ムーサーはそれを怖がりました。しかし、この節では、ムーサーの2つ目の奇跡について述べています。神はムーサーに言いました。「あなたの手を胸元に入れなさい。それを出すと白く輝いている。その白さは病気ゆえのものではない」
この節は続けて、このように述べています。「あなたの奇跡は、この2つに限られない。他にも7つの奇跡を用意した。あなたがフィルアウンとイスラエルの民を唯一神信仰へと導くとき、それらの奇跡を利用し、彼らのあらゆる口実探しの道を閉ざすことができる」 その奇跡とは、ナイル川を真っ二つに分けたり、山から12の泉を湧き出させたり、といったものです。
フィルアウンとその軍勢がイスラエルの民を攻撃した後、預言者ムーサーは杖でナイル川を叩きました。その結果、川が真っ二つに割れ、イスラエルの民が通過するための道ができました。もう一つの場合にも、ムーサーが杖で山を叩くと、そこから12の泉が湧き出たのです。
第12節の教え
・自然の秩序は、神の創造物であり、神が望んだものは皆、たとえ自然の通常の流れとは異なる、常軌を逸したものであっても、必ず実現します。
・一部の民は誤った道に固執し、奇跡を示したとしても、彼らを納得させることはできません。彼らの心を真理の前に謙虚なものにするためには、数多くの神の奇跡を示す必要があります。
第13節
「我々の明らかな奇跡としるしが彼らのもとにやって来たとき、彼らは言った。『これは明らかな魔術である』」 (27:13)
فَلَمَّا جَاءَتْهُمْ آَيَاتُنَا مُبْصِرَةً قَالُوا هَذَا سِحْرٌ مُبِينٌ (13)
第14節
「そして心の中では確信を持ちながら、圧制や優越主義によってそれを否定した。見るがよい。堕落した者たちの結末がどのようなものであったかを」 (27: 14)
وَجَحَدُوا بِهَا وَاسْتَيْقَنَتْهَا أَنْفُسُهُمْ ظُلْمًا وَعُلُوًّا فَانْظُرْ كَيْفَ كَانَ عَاقِبَةُ الْمُفْسِدِينَ (14)
預言者ムーサーは、任務を果たすため、フィルアウンとその民のもとに行き、彼らを唯一神の信仰へといざないました。しかし、フィルアウンとその側近たちは、ムーサーの一部の奇跡を目にしたとき、彼の言葉を受け入れる代わりに、彼を魔術師と呼んだのです。この節は続けて、次のように語っています。「このような誹謗中傷は、彼らが預言者ムーサーの行いを疑っていたためではない。彼らはムーサーの言葉が正しいことを知っており、それを確信していた。だが、彼らがムーサーの真理の言葉を受け入れようとしなかったのは、単に、自分たちの方が優れていると考えていたからに過ぎない」
彼らにとって、社会的に、自分たちよりも低い立場にいる人間に従うことは、嫌な気持ちを伴う困難なことでした。そのため、フィルアウンたちは、大きな圧制を行い、ムーサーを魔術師だと非難することで、彼が自分たちよりも優れていることを認めまいとしました。とはいえ、ムーサーとその教えに対する圧制は、実際、自分たちに対する圧制でした。なぜなら、彼らが痛ましい結末を迎え、ナイル川で溺れ死ぬ原因となったからです。
第13節~第14節の教え
・信仰の位置づけは、知識や確信よりも上にあります。多くの場合、人間は心の中で真理を信じ、それが正しいことを理解していたとしても、それを否定し、真理に屈しようとしません。信仰とは、真理に屈することなのです。
・真理を受け入れる妨げとなるのが、高慢さ、優越主義です。それにより、人間は他人を見下し、彼らの言葉に価値をおかなくなります。
・腐敗した人間の行いの結末は、崩壊と滅亡です。
第15節
「本当に我々は、ダーヴードとソレイマーンに知識を授けた。2人は言った。『称賛は、私たちを多くの敬虔な僕よりも優れたものとした神だけのものである』」 (27:15)
وَلَقَدْ آَتَيْنَا دَاوُودَ وَسُلَيْمَانَ عِلْمًا وَقَالَا الْحَمْدُ لِلَّهِ الَّذِي فَضَّلَنَا عَلَى كَثِيرٍ مِنْ عِبَادِهِ الْمُؤْمِنِينَ (15)
第16節
「『 ソレイマーンはダーヴードの後継者となり、言った。『人々よ、鳥たちの言葉が私たちに教えられ、全てのものが私たちに与えられた。これこそ、明らかな恩恵である』」 (27:16)
وَوَرِثَ سُلَيْمَانُ دَاوُودَ وَقَالَ يَا أَيُّهَا النَّاسُ عُلِّمْنَا مَنْطِقَ الطَّيْرِ وَأُوتِينَا مِنْ كُلِّ شَيْءٍ إِنَّ هَذَا لَهُوَ الْفَضْلُ الْمُبِينُ (16)
預言者ムーサーの運命が述べられた後、この2つの節は、イスラエルの民の預言者であった、ダーヴードとソレイマーンの運命について触れています。この2人の預言者の状況は、他の預言者たちとは完全に異なっていました。彼らの特徴の一つは、国家を運営するために統治体制を打ち立てたことです。他の預言者たちは、いつも人々の嫌がらせを受け、祖国を追い出されましたが、この2 人の預言者たちは、最高の権力を有していたため、人間だけでなく、ジン(霊魔)たちも、彼らの命令に従っていました。
この2つの節は、預言者ダーヴードとソレイマーンの壮大な統治や権力の秘密は、神から与えられた特別な知識にあるとし、彼らはその知識に基づいて、大規模な統治を打ち立てることができたとしています。この2人の預言者は、そのような知識の価値を知っており、自分たちが他の人よりも優れた存在となるきっかけとなった、そのような知識を与えてくれた神に感謝を捧げています。
この節は続けて、神から与えられたその知識の一つは、鳥の言葉を理解すること、物質的な恩恵や可能性の全てを利用する能力であるとし、それは、明らかに神の恩恵の一つであるとしています。
第15節~第16節の教え
・預言者の知識は、神から授かったものであり、神からのインスピレーションによって、彼らに与えられました。
・宗教は政治と一体です。宗教が政治と合わさるとき、敬虔な人間が政治問題に関与し、宗教的な統治体制を樹立しようとする、あるいは少なくとも、圧制的な権力と戦おうとするのです。
・国家の運営は、個人や支配政党の好みではなく、知識に基づいて行われなければなりません。
・私たちが持つ知識や恩恵は、神の慈悲によるもので、自分の力で得られたものではありません。そのため常に、神に感謝を捧げましょう。高慢になり、神のことを忘れるようなことがあってはなりません。