神の恩恵を出し惜しみした息子たち
それでは、コーランの物語、第三話を始めることにいたしましょう。
コーランに登場する真実の物語は、全ての人間や民の上にも起こりうるものです。私たちはそこから教訓を得る必要があります。神はそのことについて、コーラン第12章ユーソフ章ヨセフ、第111節で次のように語っています。
「本当に、彼、ユーソフの物語の中には、賢い者たちへの教訓がある」
朝の涼しい風が吹き渡る中、庭師の老人は、ゆっくりと自分の庭園へと向かっていました。まだ太陽は完全に顔を出していません。老人は庭園へと足を踏み入れました。花や植物の匂いがあたり一面に立ち込めています。背の高い樹木や色とりどりの茂み、こうした美しいものたちに、老人は心からの喜びを覚えていました。
庭園の果実は甘く熟し、小川のせせらぎは軽やかな音をたてて流れていました。この庭園のいたるところでは、人々が木陰で休んでいます。老人は庭園の中を少し散歩した後、礼拝の場所へと赴き、神に祈りを捧げました。
「神よ、あなたに感謝いたします。あなたは私にこれほど豊かなお恵みを授けてくださいました。神よ、あなたは私が、恩知らずでお言いつけにそむく人間になるのを防いでくださいました」
老人は何年も前から、自分の庭園を恵まれない人々に自由に使わせ、そこで収穫された果物を、そうした貧しい人々に分け与えていました。しかし、老人の息子たちは、そのような父親の行動を苦々しく思い、不満を抱いていたのです。息子の1人が言いました。
「父さん、あなたは自分の財産をそのようにして貧しい人々に分け与えていらっしゃいますが、そのせいで息子である私たちの権利が損なわれていることにお気づきですか?実際あなたは、私たちの取り分を制限しているのですよ」
もう1人の息子が言いました。
「このようなやり方を続けていれば、まもなく、あなたは全ての財産を失ってしまう。そして私たちも、他人の援助にすがる身の上となってしまうことでしょう」
そのような息子たちに向かって、老人は言いました。
「お前たちは間違っている。果してこの世の財産は、他の人に出し惜しみをするほど価値のあるものだろうか? この庭園は、神が私に与えて下さった恩恵なのだ。私はそれに感謝し、この恩恵を人々のために費やさなければならない。私の人生も、そう多くは残されてはいないだろう。お前たちに頼みがある。人々に施しをしなさい。神は施しをする者に報奨を与えてくださる。だがもし出し惜しみをすれば、神が忠告しているように、お前たちの財産は跡形もなく消えてしまうだろう」
それからしばらくして、老人はこの世を去りました。夜、息子たちは急いで集まりました。息子の1人が言いました。
「父は亡くなった。これから、あの庭は、貧しい人や恵まれない人々のためのものではなくなる。もはや庭の倉庫は、住む家のない人たちの寝場所でも、旅人たちが休むための場所でもなくなるんだ」
別の息子が言いました。
「そうだとも。あの庭からはたくさんの果物が収穫できる。それらの果物のおかげで、私たちは皆、自分の権利を増やし、多くの利益を手にすることができるだろう」
それまで、兄弟たちの言葉を黙って聞いていた一番下の弟が、不安な面持ちで言いました。
「兄さん、あなたたちは、表面的には利益に見えても、実はその中に、もっと大きな損害や悪を秘めているような行動に出ようとしている。それがわからないのですか?」
一番下の弟の言葉がまだ終わらないうちに、兄弟たちが騒ぎ始めました。
「お説教なら十分だ。お前の忠告など、聞いている暇はない」
夏も真っ盛りでした。老人の庭園は、いつもの年よりもたくさんの収穫がありました。貧しい人々は、大喜びで、収穫を分けてもらおうと老人の庭園にやって来ました。しかし、それを見た老人の息子たちはこう決めたのです。
「人々が目を覚まさないうちに、朝早く庭園に行こう。そして、果物をひとつ残らず集めて売ってしまおう」
コーラン第68章アル・ガラム章筆、第17節から19節で、神は次のように語っています。
「我々は、その持ち主を試みたように、彼らを試した。彼らは誓いを立てた。早朝に果実を収穫し、その例外を設けることはなく、恵まれない人々に何かを残すことはないと」
朝早く、老人の息子たちは庭園にやって来ました。そして、目の前に広がる荒涼とした風景に驚いて口ぐちに言いました。
「これが私たちの庭園だろうか? 昨日までは、あんなにたくさんの、たわわな果物を実らせた木々があり、澄んだ小川が流れ、花々のいい香りで満たされていたというのに。」
「そうだ、そんな庭園を後にして、私たちは家に帰ったはずだ。この害虫にやられて荒廃した庭園が、私たちのあの庭園であるはずがない。もしかしたら、ゆうべよく寝ていないせいで、私たちは寝ぼけて、道に迷ってしまったのかもしれない」
すると、一番下の弟が言いました。
「兄さんたちは道に迷ったわけではありません。ここは、あなた方の庭園です。だから申し上げたはずでしょう。なぜ神に感謝をしないのですか、と。」
兄弟たちは、自分たちが貧しい人々から何かを取り上げる前に、自分たちが取り上げられてしまったことを悟りました。彼らは言いました。
「ああ、なんということだ。私たちは神のお言いつけに反抗する人間だった」
それから彼らは、さんざん互いを非難しあった後でこう言いました。
「今、私たちは神の御前で罪を悔い改めた。おそらく神は、この庭園よりも素晴らしいものを私たちに与えてくださるだろう。私たちは自分の神を頼り、信じている」
しかし、この時すでに神の命は実行され、彼らに残されたのは後悔の念だけでした。神は、独占欲の強い人々に語りかけ、このように戒めています。
「現世の責め苦は、このようなものである。だが、来世の責め苦こそは、はるかに厳しいものとなるであろう」