ポロ:イラン発祥の世界的スポーツ【写真あり】
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ポロは世界で最も古い馬術競技の1つであり、その起源は古代イランにまで遡ります。
(last modified 2025-09-24T11:23:54+00:00 )
9月 24, 2025 19:19 Asia/Tokyo
  • ポロの試合でプレーするイラン人女性ら
    ポロの試合でプレーするイラン人女性ら

ポロは世界で最も古い馬術競技の1つであり、その起源は古代イランにまで遡ります。

ポロの起源は古代イランと考えられており、ポロという名称もその時代から現在まで受け継がれてきました。

【Pars Todayイラン】イランや外国の文献、そしてイラン人とトゥーラーン(現在の中央アジア付近の地域)人らによるポロの試合の様子が刻まれている、大英博物館収蔵の紀元前600年頃の石碑に基づけば、このスポーツの歴史は非常に古いとされています。

ポロは、紀元前6世紀半ばに興ったアケメネス朝時代に騎兵の軍事訓練として発展し、イスラム伝来前のサーサーン朝時代に文化的繁栄の頂点を迎えました。古代イランにおいてポロは単なるスポーツではなく、宮廷人の権力、技能、そして高貴さの象徴でもあり、フェルドウスィー、ルーダキー、ネザーミーといった偉大なイラン詩人の詩にも反映されています。

偉大なイランの詩人の1人サアディは、その名著『ゴレスターン』(薔薇園)の詩において、ポロについて言及しています。

ポロを競技場に導入した王は、ポロが正義を伴った力の象徴であることを国民に教育しました。

古代イランにおけるポロ競技を描いた絵画

ポロは、家族(選手と芸術家)、自然、馬、芸術といった要素との結びつきから、イラン文化において非常に重要な意味を持っています。今日、ポロのフィギュアや図柄は手工芸品、伝統的な細密画、建築装飾、石のレリーフなどに用いられており、イランの文学や諸言語にも幅広く存在しています。

ポロを題材とした絵画

中部イスファハーンや南部シーラーズといったイランの主要都市にはポロ・コートが建設され、王侯貴族の前で試合が行われました。イラン文化の影響が拡大するにつれ、この馬術競技はインドにも伝わり、特にムガール帝国時代に人気を博しました。その後、インドに駐留していたイギリス軍将校がこの競技に親しむようになり、「ポロ」という名前でヨーロッパに持ち帰ったのです。そしてその後はルールや用具の変更を経て、19世紀にイギリスで正式化され、今日でも多くの国でプレーされています。

ポロの試合の様子

こうした世界的な普及伝搬の一方で、イランのポロは特殊な馬の使用、伝統的な服装、そしてイランの文化や宗教と深く結びついたプレースタイルなど、独自の特徴を有しています。近年、イランでは伝統的なポロの復活に向けた取り組みが進められており、2017年にはポロがイランのスポーツとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

イラン中部カーシャーン大学で考古学の教鞭を執るアッバースアリー・レザーイーニヤー助教授は、イスファハーン芸術大学の研究者と共同で、この古代のスポーツに関する研究を行いました。その結果、ポロは貴族や有力者に加え、それ以外の一般民衆にも親しまれていたことが判明しています。ポロは文化的要素として、イランの人々の社会・文化生活において重要な役割を果たし、イラン人の物の捉え方や生活様式を反映してきました。

中部イスファハーンでのポロ競技の様子

さらに複数の調査結果から、ポロが単なるスポーツ競技ではなく、騎士道精神と社会的な連帯の象徴でもあることが判明しています。歴史を通して、この競技は娯楽としてのみならず、イラン人の文化的・社会的アイデンティティの強化、そして次世代への倫理的・社会的価値観の伝承にも寄与してきました。

ポロはイランの無形文化遺産の一部であり、イラン人の生活の様々な側面に影響を与えてきました。ポロが古代の詩や物語に影響を及ぼし、社会的な儀式や祝賀行事にも役割を果たしていることは、このスポーツが単なるゲームという概念を超越していることを物語っています。馬上と徒歩の両方で行われるこのスポーツは、イランの人々の間で広く普及し、イラン人の文化とアイデンティティにおいて見事に重要な役割を果たしてきたのです。

 

 


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