4月 02, 2019 04:30 Asia/Tokyo
  • ガージャール朝時代におけるイラン人のノウルーズ
    ガージャール朝時代におけるイラン人のノウルーズ

第2回目の今回は、ガージャール朝時代のイラン人のノウルーズの慣習についてお話してまいりましょう。

旅行記には、外国人の目から見たイランの新年ノウルーズの慣習が書かれています。

ガージャール朝時代は外国の旅行家がイランをしょっちゅう訪れた時代でした。彼らはそれぞれがイランのガージャール朝時代の社会、文化、歴史の出来事にあふれた貴重な旅行記を記しました。これらの旅行家は、ノウルーズの多くの風俗習慣を取り上げています。こうしたものを通して、イランのガージャール朝時代のノウルーズの慣習の多くを知ることができます。

ガージャール朝時代の外国人の旅行家

 

ジョゼフ・アルテュール・ド・ゴビノーは、旅行記の中で、ノウルーズの祝祭の開催の重要性について指摘し、次のように述べています。

「ガージャール朝の宮殿では、新年の開始を、たとえ夜半であっても特別な祝福をもって祝う。王子、ウラマー、高官、軍の士官といった人たちだけがこの行事に招かれていた」

ジョゼフ・アルテュール・ド・ゴビノー

 

ナーセロッディーンシャーの宮殿のオーストリア人医師も、宮廷でのノウルーズの重要性、そしてそれがどのように行われていたかについて記しています。

「ガージャール朝のナーセロッディーンシャーは、ノウルーズの祝祭に多くの重要性を見出していた。新年の開始の行事を、夜半にすら行っていた。ノウルーズの一日、皇太后も女性の祝祭を行い、王女やその側近たちがそれに参加し、ヨーロッパの大使夫人たちも招待されていた。それに加えて、ノウルーズは政府の職員たちの階級が昇格するときでもあった。国の要職に就くすべて人たちが異動したり、留任したりした。残りの日々、王は最も重要な聖職者に会いに行き、彼らはシンプルな形で王をもてなしていた」

 

イランのトルコ石は、ガージャール朝のお金持ちの王、とくにナーセロッディーンシャーの特別な来賓に配られていたノウルーズの贈り物でした。ナーセロッディーンシャーの外国人主治医は、宮殿における3年間の滞在について書物に綴っています。彼はノウルーズの王と人々の面会に関して次のように記しています。

「ノウルーズの日にちは、正式にシャーの占星術師によって決められていた。ノウルーズの到来が占星術師によって発表されると、人々は互いに訪問を開始していた。これらの面会の中に、王への謁見があった。このため、大衆から宮廷人、外国の大使まで全ての階層の人がシャーの宮殿に出向き、ナーセロッディーンシャーに謁見していた。シャーもまた、人々前で演説し、新年の祝辞を述べていた」

ガージャール朝時代におけるイラン人のノウルーズ

 

シャーの主治医は、自らの旅行記で次のように記しています。

「ノウルーズは、実際イラン人にとって最初の正式な新年である。彼らはイスラム暦を使っているため、休日は変動するが、ノウルーズだけは変わらない。毎年春分の日にあたる」

 

ナーセロッディーンシャーの主治医は続けてこのように綴っています。

「祝祭が行われる博物館の大ホールは6時前から多くの人で埋め尽くされていた。すべての国の要人が、そこに集合し、外国の軍関係者や大臣も見られた。シャーは6時になると、ホールに入ってきて、ファトフアリーシャーの王座の下に引かれた金の織り込まれた絨毯の上に座り、真珠が縫いこまれたクッションを支えにした。シャーは他の大きな祝祭のときと同じように、宝石に囲まれ、シャンデリアや蝋燭などの光に包まれていた。上から下まで鏡細工で覆われたホールに加えて、それは大変驚くべき光景だった」

 

ガージャール朝時代に、イランを訪れたフランスの旅行家は、「現代イラン」という著書の中で、ハフトスィーンと呼ばれるイランの正月飾りについてこのように記しています。

「ノウルーズの最大の象徴は、ハフトスィーンである。イラン人はハフトスィーンの正月飾りを新年の開始に必要なものと見ている。ハフトスィーンには、金魚、リンゴ、ニンニク、青草、酢、ホソバグミ、サンギャクと呼ばれるナンが置かれている。その後、親戚への挨拶回りが始まる。人々は互いに訪問し、祝辞を述べ合う」

 

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