光の彼方への旅立ち、ナムル章(1)
コーラン第27章 ナムル章 蟻 第1節~第5節
慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において
第1節
「慈悲深く、慈愛あまねきアッラーの御名において。ター・スィーン。これは啓蒙の書物、コーランの節であり、」 (27:1)
طس تِلْكَ آَيَاتُ الْقُرْآَنِ وَكِتَابٍ مُبِينٍ (1)
第2節
「敬虔な人々のための導き、吉報である」 (27:2)
هُدًى وَبُشْرَى لِلْمُؤْمِنِينَ (2)
この章は、コーランにある他の28の章と同じように、アラビア語のアルファベットで始まっており、それらの章と同じように、コーランの偉大さについて語っています。コーランは、すべての人が知っている簡単なアルファベットで作られた書物ですが、人間は誰一人、たった一節でも、それと同じものを作る力はありません。この書物の節は、様々なことを明らかにする明白なものであり、真理と偽りの違いを明らかにしています。この書物は、すべての人を導くために下されましたが、当然、それを利用し、幸福に至ることができるのは、それを信じ、その真理を受け入れた人です。コーランの節は、偉大なる神の言葉なのです。
預言者に下されたこれらの節は、2つの名前を持っています。一つは「読み上げること」を意味するコーランであり、それは預言者がその節を人々に読み上げるがゆえのものです。もう一つは、「書物」であり、それは人々に節が読み上げられた後、預言者の教友たちによって記録されていたためです。
第1節~第2節の教え
・神の預言者たちの社会における運動は文化的な運動でした。それは、読み上げることと記録することを伴い、真理と偽りの違いを説明することに基づいています。
・コーランが持つ特長とは、それが明白であること、導くものであること、吉報をもたらすものであることです。
・人間への真の吉報とは、彼らが真理へと導かれることにかかっています。
第3節
「彼らは、礼拝を行い、喜捨を施し、来世を信じる人々である。」 (27:3)
الَّذِينَ يُقِيمُونَ الصَّلَاةَ وَيُؤْتُونَ الزَّكَاةَ وَهُمْ بِالْآَخِرَةِ هُمْ يُوقِنُونَ (3)
第4節
「まことに来世を信じない人たちには、自分たちの行いが立派に見えるようにする。そのため彼らは、戸惑い、迷っている。」 (27:4)
إِنَّ الَّذِينَ لَا يُؤْمِنُونَ بِالْآَخِرَةِ زَيَّنَّا لَهُمْ أَعْمَالَهُمْ فَهُمْ يَعْمَهُونَ (4)
第5節
「彼らには悪い責め苦があり、来世では、最も損害を被る者となる」 (27: 5)
أُولَئِكَ الَّذِينَ لَهُمْ سُوءُ الْعَذَابِ وَهُمْ فِي الْآَخِرَةِ هُمُ الْأَخْسَرُونَ (5)
この2つの節では、まず、神が敬虔な人間の特徴を述べています。それは、2つの行動の特徴と1つの思考の特徴です。礼拝とザカートと呼ばれる喜捨を行うことは、敬虔な人間の2つの明らかな行動面での特徴であり、誰でもそのうちの一つを行っていなければ、信仰の主張に誠実ではないことになります。しかし、礼拝や喜捨よりも重要なのは、死後の世界を信じることです。それを信じない人は、現世とその魅力に惑わされ、現世の地位や財産を愛するあまり、来世を否定し、神のために何かを行うことはありません。当然のことながら、来世を信じない人は、醜い行いやよからぬ行いが魅力的で価値のあるものに見えてしまい、それらを行おうとします。しかし、そうした行いには、最後の審判での厳しい懲罰が待っているのです。
コーランの様々な節では、悪魔が人間に醜い行いを美しく見せると述べられていますが、この節と、もう一つの節では、人間に醜い行いを美しく見せるのは、神であるとされています。それはおそらく、神が人間の中に、ある特徴を据えたためでしょう。その特徴とは、どんなことでも繰り返されれば、その人の性質に影響を及ぼし、次第にその人の人格を変えてしまう、というものです。
人間は、醜い行いをするとき、次第にその醜さが薄れ、やがてはそれに慣れてしまい、自分の醜い行いを正当化するようになります。もしそのようなことが続けば、その人は自分の醜い行いを好ましい行いと見なし、他の人にもそれを奨励するようになります。そのような人間は、善い行いをしていると思い込み、誤った行いの裾野を広げてしまうのです。もちろん、その人がそのような道において努力をすればするほど、真理の道から逸脱し、ますます迷いに陥っていきます。こうしてその人の人生は無駄になり、最後の審判で、最も損害を被る人間となるのです。
第3節~第5節の教え
・イスラムの特徴の一つは、他人や恵まれない人々との関係と共に、神との関係を据えていることです。
・善い行い、あるいは悪い行いに慣れることは、人間の様々な行いによる必然的な結果です。もしこの神の掟、法則が正しい方向に利用されなければ、人間は償うことのできない損害を被ることになります。
・最後の審判を信じれば、私たちにとって美しく見える多くの行いを止めることになるでしょう。そうなれば、神の教えに基づいて行動し、神以外のものの価値を受け入れることはありません。そして、露出度の高いことを文明のしるし、浪費や表面的な華やかさを、人格の基準ととらえることはありません。また、真理と偽りの基準を個人や国家の利益に置くことはなくなります。
・最後の審判を信じず、それを否定することは、人間に最大の損害をもたらすでしょう。