7月 05, 2017 15:12 Asia/Tokyo
  • イスラムにおける知識や学者の重要性
    イスラムにおける知識や学者の重要性

この時間は、コーランやイスラムの預言者ムハンマドの生き方における知識や学問の地位と、イスラムにおける知識や学者の重要性についてお話します。

前回の番組でお話したように、この数十年、イランは科学の点で目覚しい発展を遂げており、世界の国々の中でも、技術や知識の生産に関する指標の点で、高い地位を有しています。この間、イランは、知識生産の分野で世界ランキングを上げ、核、航空宇宙、ナノテクノロジー、ES細胞などの一部の分野で、大きな発展を遂げてきました。この科学の発展は、イスラム革命の主張に基づいており、イラン・イスラムの文化から生まれています。

 

知識と学問は、イスラムにおいて高い重要性を有しています。コーランの多くの節が、イスラム教における知識や学者の独自の地位を示しています。例えば、コーランの節のひとつでは、知識や技術を持つ人々には高い地位が与えられることを約束しています。

 

コーランの別の節で、神は知識や技術を持つ僕は、神を恐れるとしています。「神への畏怖は、賢い神の僕に特有のものである」

 

イスラムにおける知識と技術の重要性をあらわすもう一つの特徴は、神がコーランの中で行っている誓いです。さらに、イスラムの預言者ムハンマドに下された最初の節の中では、言葉を教えたり読んだりすることについて述べられています。そして、基本的に、神の預言者たちが遣わされたことの目的のひとつは、英知や書物を教えることだとされています。これらのすべては、コーランにおける知識や技術の重要性を物語っています。

 

聖典コーランは、敬虔な人々に知識の習得を勧めると共に、創造世界と神の節の秘密について深く考えるよう呼びかけています。また、コーランの多くの節で、至高なる神は僕に対し、天と地、動植物の創造について考え、先人たちから教訓を得るよう求めています。一部の節で、神は人々に、知識や学問を、社会の常識の向上と理性の成長に活用するようにとしています。

 

聖典コーランには、神が僕たちを、思想的、理性的な支えのないような行動にいざなったり、僕たちに対し、ある行動を考えなしに盲目的に行うよう勧めている節はありません。聖典コーランははっきりと、知識や学問を、人間を互いに区別する基準のひとつと見なしています。

 

コーランの節だけでなく、預言者ムハンマドの言動においても、知識や学問は重要な地位にあります。預言者ムハンマドは、学者は預言者と同等にあるとし、次のように語っています。

 

「誰でも知識を習得し、神の満足のためにそれを人々に教える者に、神は70人の預言者の報奨を授ける」

 

預言者ムハンマドは、知識や学問を、宗教的な敬虔さへと進み、人間の知識を向上させるための手段としており、そのために、知識を追い求める人は、大きな恩恵に授かっているとしています。知識の探求者は神の御前で、神の道における戦士、メッカ巡礼者、神の家を周回する人たちよりも優れています。木や風、雲や海、星、植物、その他、太陽の光を浴びるすべてのものが、知識を探求する人々のために恩恵を願っています。

 

イスラムの偉大なる預言者ムハンマドは、学者を称賛したり、侮辱したりすることは、自分自身や神を称賛したり、侮辱したりすることにあたるとし、これについて次のように語っています。

 

「誰でも学者を尊重する者は私を尊重することになり、誰でも私を尊重する者は、神を尊重することになる。誰でも神を尊重する者、その人の行いの結末は天国である」

また別の場所でも次のように語っています。

「誰でも知識を持つ者を卑しめる者は、私を卑しめたことになり、誰でも私を卑しめるものは不信心者である」

 

神への礼拝は、イスラムの教えの魂と見なすことができますが、預言者ムハンマドにとって、知識を学ぶことの価値は、礼拝の価値よりも高いものです。預言者はこれについて次のように語っています。

「学者が礼拝者よりも優れていることは、14日の満月が星々よりも優れているのと同じである」

預言者ムハンマドが、知識や学問を強調しているのは、知識が礼拝へと向かうものであるためです。

 

預言者ムハンマドは、学者の地位は、自らの命を神の道において捧げた殉教者よりも高いとしています。預言者は次のように語っています。

「大天使ジブライールに、学者と殉教者のどちらが神から愛されるのかと聞いたところ、『学者は神にとって、1000人の殉教者よりも尊い。なぜなら、学者は神の預言者たちに従っており、殉教者は学者に従っているからだ』と答えた」

 

イスラムの預言者はこの伝承の中で、改めて学者を預言者と同等に紹介しており、知識や学問がイスラムにおいていかに重要であるかを強調しています。預言者はまた別の伝承の中で、学者へのまなざしは、預言者へのまなざしと同じように、崇拝行為であるとしています。

 

イスラムの預言者から、知識や学者の重要性について語られている事柄の他にも、預言者の行動を見ると、彼が知識や学問、それらを持つ人を尊重していることが分かります。例えば、預言者は、バドルの戦争の捕虜たちを解放する条件として、イスラム教徒に読み書きを教えることを定め、イスラム初期から、人々のために教育の場を設けていました。

 

イスラムの預言者の生き方は、少しずつ、イスラム教徒の模範となり、知識や学問は、イスラム社会において包括的な価値観となりました。このようなやり方は、知識の習得を、すべての男女の義務とする思想に基づいています。この中で、知識や学問の習得は、性別、場所、階層、伝統を超えたものです。そのため、イスラムの預言者ムハンマドは、あらゆる状況の中で、知識や学問を習得することを強調しています。例えば、次のように語っています。「知識を求めなさい、たとえそれが中国にあるとしても」

また、次のように語っています。「ゆりかごから墓場まで、知識を探求しなさい」

イスラムにおける知識や学問についての根本的な点のひとつは、知識と信仰が共に存在することです。このような考え方は、キリスト教や中世の考え方の対極にあります。キリスト教では、特に中世、知識が信仰を破壊するものと見なされ、敬虔な人間は学ぶことが禁じられていました。しかしイスラムは、知識と信仰は互いに矛盾するものではなく、互いを補うものだとされています。このような考え方では、知識の結果は、神に近づくことだとされています。

 

伝承には次のようにあります。「敬虔な人間は、考えない限り、信仰を寄せない」

また、このようにあります。「知識の結果は礼拝である」

イスラムでは、知識や学問は、信仰へのはしごだとされています。しかし、暗闇から脱するための光と見なされる知識や学問は、迷いの原因にもなりえます。言い換えれば、知識と学問は、個人や社会に幸福をもたらすことも、また反対にそれらの堕落の原因になることもあります。イスラムでは、真の知識、個人や社会の現世と来世の幸福に貢献する知識とは、利益をもたらす知識だとされています。