8月 17, 2017 23:24 Asia/Tokyo
  • アクサーモスク
    アクサーモスク

今夜はまず、イスラム世界におけるモスクの重要性と現代社会におけるその役割に注目し、モスクの様々な機能について考え、これに加えて、イスラム教徒にとって第3の聖地とされている、パレスチナのベイトルモガッダス・エルサレムにあるアクサーモスクをご紹介することにいたしましょう。

前回は、全ての啓示宗教において神への崇拝と礼拝が高く位置づけられており、それに伴い礼拝の場所も特別な重要性を帯びてくることについてお話しました。イスラムでは、モスクは神の家と見なされ、同時に神の僕たちが礼拝を行う場所とされています。

しかし、重要な点は、社会をベースにして慣行儀礼の規範を定め、その社会的な枠組みにそって戒律や決まりごとを説明している宗教はイスラムのみであるということです。イスラムの支柱とされる礼拝も集団での実施が基本ですが、単独で行っても差し支えないとされています。このため、地球上のイスラム教徒が偉大なる預言者と信徒の長であるイマーム・アリー、そして預言者の妻ハディージャの3人しか居なかった当時、礼拝は集団で行われていたのです。

イスラム以前の無明時代にメッカを訪れた人物の1人、アフィーフ・キャンディは、次のように述べています。

「交易商人だった私はある年に、サウジアラビアの町メッカにやって来た。そこで私は、驚くべき光景を目の当たりにした。そこでは、全ての人々がカアバ神殿内にある木材や金属、石でできた偶像の方を向いており、これらの人々の中でわずか3人だけが、アクサー・モスク、即ちシリアの方向を向いて礼拝を行っている。このとき、私の傍らには預言者の父方のおじに当たるアッバース・ブン・アブドゥルムトゥリブがいた。私は彼に、これらの人々は一体誰なのか、そして何をしているのかと尋ねた。すると、アッバースは次のように応えた。『私の前に立っているのは、私の甥のムハンマドである。そしてムハンマドの右側に立っている少年は、私のもう1人の甥のアリーだ。さらに、これらの人々と共に礼拝を行っている女性は、ムハンマドの妻のハディージェである。地上では、この3人以外にアクサーモスクの方向に向かって礼拝する人はいない」

 

集団礼拝

 

モスクの数ある機能の1つは、集団礼拝と金曜礼拝の開催です。集団礼拝は、集団礼拝の説教師の指示と規律に従って実施されます。イスラム教徒は、きちんと横並びに整列します。このようにして、神の御前において全ての人々が集団で起立し、腰をかがめ、また地面にひれ伏すといった礼拝の動作を行います。そして、彼らの心が互いに近しくなり、人々は皆兄弟という感情が彼らの心に芽生えるのです。

さらに、集団での礼拝には、様々な年齢層や社会階層にまたがる全ての人々に、規律や時間の遵守を教えるという教育的な特徴があるとともに、人々の間に共感や親睦、協力の精神が育まれます。このため、モスクでの集団礼拝に参加することは非常に重要なこととされています。このため、ある男が、目が見えず1人きりの身であるために、モスクでの集団礼拝に参加できないと述べたとき、預言者はその男に対し、自分の家からモスクまで縄を引いてもらい、それをつたって集団礼拝の場に来るように告げたといわれています。

 コーランの節においても、集団礼拝の重要性が強調されており、神は宗教上の敵との戦争の際にも、集団礼拝を止めさせることはありませんでした。これについて、コーラン第4章、アン・ニサーア章、「婦人」第101節には次のように述べられています。

“あなたが信者である彼らの中にあって、彼らと礼拝に立つ時は、まず彼らの一部をあなたと共に礼拝に立たせ、そして彼らに武器を持たせなさい。彼らが地面にひれ伏して礼拝の第2のラカートを終えたならば、あなた方の後ろに引かせる。それからまだ礼拝していない他の一団に、あなたと共に礼拝の第2のラカートから礼拝に立たせる。彼らにも武器を持たせて警戒させるがよい”

コーランのこの節において、神は預言者とその教友たちに対し、戦争中という困難な状態での集団礼拝の方法を説明しており、戦争中でも礼拝の実施を免除することなく、その実施方法を教示しています。

 

それでは、ここからはイスラム教徒にとって第3の聖地とされる、アクサーモスクをご紹介することにいたしましょう。

 

アクサーモスク

 

預言者の教友の1人アブーザル・ギファーリーは、次のように述べています。

「私は、神の預言者に対し、この地上に初めて造られたモスクはどこでしょうかと尋ねた。すると、預言者は、それはメッカのカアバ神殿のあるマスジェドルハラームだとお答えになった。そこで、私がまた預言者に、その次に造られたモスクはどこかと尋ねると、預言者はアクサーモスクだとお答えになったのである」

アクサーモスク

 

預言者アーダムの伝承によれば、アクサーモスクの基礎部分はメッカにあるカアバ神殿の建設から40年後に造られたとされています。紀元前2000年ごろには預言者イブラーヒームが、その後にはその息子のヤアクーブとイスハークが建物を修復し、再建しました。それからしばらく後には、預言者ソレイマーンが再建作業を行っています。西暦636年にも、イスラム帝国の第2代カリフ、ウマル・イブン・ハッターブが、聖地ベイトルモガッダス・エルサレムを征服した後に、アクサーモスクの南側にある礼拝の方向であるキブラの方向に向かって設けられている集団礼拝場において、礼拝を行っています。その後のウマイヤ朝時代には、神殿の丘とも呼ばれる聖域「岩のドーム」が造られ、先の集団礼拝場も再建されました。

このため、アクサーモスクはメッカのマスジェドルハラーム(カアバ神殿)に次いで、世界で2番目に作られたモスクとされ、イスラム教徒にとって最も聖なるモスクの1つとして昔から注目されてきました。このモスクは当初、イスラム教徒にとって礼拝の際に向くべき方向であるキブラに定められていました。現在のメッカの方向が礼拝の方向とされる前の14年間、預言者ムハンマドやその他のイスラム教徒たちは、アクサーモスクの方向をキブラとして礼拝を行っていたのです。

アクサーモスクが、イスラム教徒にとって特に聖なる場所と見なされているもう1つの理由は、預言者ムハンマドがここにある聖なる岩から、夜の旅に出立したとされる、歴史的な出来事にさかのぼります。これについて、コーラン第17章、アル・イスラー章、「夜の旅」第1節には次のように述べられています。

“無謬で清らかなる神は、夜間に自らのしもべを、メッカの聖なるモスクからさらに遠くのアクサーモスクへと旅立たせた。それは、自らの哲学や力、唯一性のしるしの一部をムハンマドに示すためである”

このため、アクサーモスクという名称はコーランから取って付けられています。アクサーという言葉は、アラビア語でさらに遠いことを示す比較級の形容詞です。即ち、このモスクは預言者やイスラム教徒の本拠地であるメッカや、そこにあるマスジェドルハラームと比べて非常に遠いところにあることから、この名が付けられました。また、預言者ムハンマドの天界飛行がこのモスクを出発点としていることは、この夜の旅の目的が、精神的な成長や英知を獲得することにあり、1人の信者が精神的な飛躍を行うには、モスクが最高の出発地点になりうる、という重要な点を物語っています。

アクサーモスク

 

アクサー・モスク は、銀のドームとも呼ばれ、ベイトルモガッダス旧市街の「神殿の丘」、あるいは「ハラム・シャリーフ」と呼ばれる聖域の南にあります。このモスクは、ウマイヤ朝時代に当たる西暦685年から715年までの30年をかけて建設され、現在の形に造られました。このモスクを構成しているのは、黒鉛でできたドームがあり、礼拝の方向を示すキブラのある大礼拝場、黄金の丸屋根を持ち、ハラムシャリーフの中央に位置する「岩のドーム」、そしておよそ200件に上るミナレットや塀、境内、そのほかの複数の建物などです。

ハラム・シャリーフと呼ばれる聖域には水源があり、イスラム教徒はイスラムの長い歴史を通してこの聖域において井戸の掘削をはじめ、この聖域の敷地全体に偏在する水飲み場や給水場の設置に携わってきました。また、今日ではこの聖域の行政管理はヨルダンの首都アンマンに本部を置く、同国の宗教省が管轄するワクフ・イスラム機構が担当しています。

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

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