6月 04, 2018 20:42 Asia/Tokyo
  • コーラン第56章アル・ワーゲア章出来事
    コーラン第56章アル・ワーゲア章出来事

今回も引き続き、コーラン第56章アル・ワーゲア章出来事についてお話します。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

 

アル・ワーゲア章はメッカで下され、全部で96節あります。この章の多くの節は、最後の審判とそのときの出来事について述べています。

 

アル・ワーゲア章では、概して、最後の審判の始まりとその出来事、人間の3つのグループへの分割、ヤミーンの民、シェマールと側近の民、天国での彼らの大きな報奨や恩恵、シェマールの民と地獄における彼らの痛ましい懲罰、復活の根拠としるし、精液からの人間の創造、植物における生のしるし、雨、炎、死と現世から来世への移行、敬虔な人間への報奨と不信心者への懲罰について述べられています。

 

アル・ワーゲア章の第27節から先は、右手の人々であるヤミーンの民を、美しい表現で紹介しています。彼らは幸福な集団であり、その行いの書は、神の試練に成功したことを表して右手に与えられます。彼らも、天国の恩恵を喜びます。とはいえ、階級の点では、先頭に立ち、神の近くにいる人々よりも下になっています。

 

第三のグループであるシェマールの民は、左手の人々です。彼らはその行いの書を左手に与えられます。そして、焼け付くような風、熱湯、黒くて濃い煙の影の間にいます。その影は、冷たくも、落ち着きをもたらすものでもありません。

 

アル・ワーゲア章の第45節から48節は、シェマールの民がこのような邪悪な運命に巻き込まれた理由を、次の3つに要約しています。一つ目は、彼らがそれ以前に現世で、さまざまな恩恵に高慢になり、快楽の追求に走ったことです。二つ目の理由は、彼らが大きな罪を続けたことです。そして三つ目は、最後の審判を否定し、「私たちは死んで骨と土になった後、再び生き返るのか?私たちの最初の祖先も蘇らされるのか?」と言っていたことです。

 

アル・ワーゲア章の第49節と50節には次のようにあります。

 

「言え、『[あなた方とその父たちだけでなく、]祖先や未来の人々も皆、決められた日に約束の場に集められる』」

 

アル・ワーゲア章の第63節から先は、復活の理由を述べる中で、人間の生活に欠かせない食料、水、火の3つに触れています。まず、次のように語っています。「あなた方が植えるものを見たか?あなた方がそれを生やすのか、それとも我々か?」

 

明らかに、人間の仕事は種をまくことだけであり、種や植物を育てるのは神の仕事です。学者たちは、ひとつの植物の組織の中に見られるさまざまな設備は、数多くの工場がある産業都市に存在する設備よりも複雑で驚くべきものです。神はその種の中に、非常に小さな生きた細胞を創り、それが好ましい環境におかれるとき、初めは種の中にある栄養を利用し、そのうちに芽を出し、根を生やします。それから驚異的な速さで土の中の栄養分を吸収し、植物の中に存在する実験室や大きな器官が機能しだします。こうして、茎や枝、房ができ、その結果、ひとつの種から数百個、あるいは数千個の種が生まれるのです。

 

アル・ワーゲア章の第65節には次のようにあります。

 

「もし我々が望めば、それ[畑]をいばらだらけにし、あなた方を驚かせる」

 

 

また神はこのように語っています。「強い風を送り、種を乾燥させて壊すこともできる。あるいは、そこに害虫を沸かせ、収穫物が台無しになるようにする。覚えておくがよい。これら全ての恩恵は、違う場所からのものである」

 

 

アル・ワーゲア章の第68節から70節を見てみましょう。

 

「あなた方が飲む水を見たことがあるか?あなた方がそれを雨から生み出すのか、それとも我々が降らせるのか?我々が望めば、それを苦くしょっぱいものにする。それなのになぜ、感謝しないのか?」

 

 

そう、もし神が望んでいたら、水中で溶解したミネラルも水と共に蒸気となって空に上昇してしょっぱい雲となり、海のような塩水の雨が降っていたでしょう。とはいえ、神はそのようなことを定めていません。水の中のミネラルだけでなく、有害な細菌なども、水蒸気となって雨を汚すことを許していません。そのため、雨は最も清らかで透明な水となっています。

 

復活の別の理由は、炎の創造です。それは人類の生活において重要な手段であり、生産や産業において数多くの使い道があります。コーランには次のようにあります。

 

「あなた方が燃やす炎を見たのか?あなた方がその木を創造したのか、それとも我々が創造したのか? 我々は炎を、旅人のための道具、糧、教訓とした」

 

このような貴重な恩恵のために、神を賞賛する必要があります。アル・ワーゲア章の第74節には次のようにあります。

 

「そこで、偉大な主の名前を賞賛するがよい」

 

人間の人生における多くの重要な瞬間のひとつは、死を迎える瞬間です。そのとき、周囲の人々は、人生のともし火を静かに消そうとしている人物に対して、何もできずにいます。コーランは、復活の問題を完成させるため、この瞬間を次のように描いています。「なぜ、もうすぐ人生を終わらせようとしている人がいるとき、あなたたちはその状態をただ見ているだけで、何もできないのか? なぜあなたたちが本当のことを言っているのなら、その召されようとしている魂を自分の身体に引き戻そうとしないのか? そのようなあなたたちの無力や弱さは、生と死を決めるのは神であるためである。よみがえらせ、死なせるのは神である」