イラン式の庭園
イランの美しい庭園は非常に重要性が高く、これまでユネスコの文化遺産に、9つの庭園が登録されています。
緑豊かな美しい庭園は、水、土、光、植物、さらに人間の技術や情熱によって成り立つものであり、環境に沿った形で飾られています。庭園の形成には、人間の情熱、好み、技術、文化、決断が根本的な役割を果たします。ペルシャ語で庭園を意味する「バーグ」という単語は、古代ペルシャ語、マニ文字、ソグド語、アヴェスター語、サンスクリット語、アルメニア語、アラム語で、ほぼ同じ形で使われています。これは、イラン式の庭園が、呼び方においてさえ、他の言語や文化に影響を及ぼしていることの表れです。ペルシャ語には、他に庭園を表すものとして、「パルディース」という単語があり、コーランでは、そのアラビア語、つまり「フェルドゥース」という言葉が使われています。
紀元前6世紀から4世紀のアケメネス朝時代には、庭園に囲まれた敷地を意味する言葉として、「パイリー・ダーザー」という単語が使われていました。ギリシャ語の「パラディソス」という単語もこの言葉に由来していますが、そこから、楽園という意味で、フランス語や英語に入っていったといわれています。ペルシャ語ではパルディース、アラビア語ではフェルドゥースという形で残っています。
イラン人は、昔から、自然に対して特別な注目を寄せ、様々な儀式の中で、自然を称賛してきました。イランの古代の民族や領土の遺産である陶器の器など、古代の遺物に見られる花や植物の模様は、自然が当時のイラン人の生活や信条に、いかに大きな影響を及ぼしていたかを物語っています。紀元前3000年期から1000年期のエラム朝時代の陶器には、植物や鳥、動物、池などの模様が描かれています。動物や人間、円形や四角形、山や波、太陽や月は、アーリア人が入ってくる以前まで、イランの芸術に最も多く用いられていたデザインでした。
昔から、自然の様々な魅力の中でも、水と植物は、イラン人の生活や信条に最も大きな影響を及ぼしてきました。ゾロアスター教では、人々に農業を行うことが勧められています。ゾロアスター教の聖典アヴェスターにある考え方によれば、農業や畜産業の拡大を目的とするような社会では、自然の要素に注目せざるをえなくなります。ゾロアスター教では、水は、生活、復活、清らかさ、救済、成長、再生、性質の変化の象徴であり、そのため、当時の建築も、自然や水と共に存在していました。
イランでは、最も降雨量の多い地域では、年間2000ミリを超えるのに対し、最も少ないところでは年間50ミリにも達しません。こうした現象によるイランの多様な自然は、建築や都市開発、そして庭園作りに直接、影響を及ぼしてきました。これにより、イランの庭園は、ほぼ同じデザインを持ちながら、木の種類を変えることで、様々な気候を持つイランの領土に適した形で創られています。イラン人が自然を大切にしていたため、庭園は、理想的な楽園のように非常に美しいものとして作られ、その建設にはイランの自然や、自然に関する教えの影響が多く見られていました。こうして今日、イランの庭園においては、自然と文化的な考え方という要素が切り離せないものとなっています。
イランの人々がイスラムを受け入れるようになると、イスラムの世界観が、イラン人の文化に大きな影響を与えました。イスラムにおいて、自然は人間の成長と生活の土台である一方で、神のしるしに溢れた集合体であり、それらを注意深く見つめれば、創造世界の真理をよりよく理解することができるとされています。イスラムは、自然によって、より高いレベルの真実を理解できるようになるとしています。イスラム教の儀式は、自然と密接に結びついています。例えば、礼拝の時刻は、自然や太陽、月の状態に基づいて設定されています。
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コーランの節の中では、自然の要素が注目されており、コーランの章の多くに、自然の要素やその状態を表す名前がつけられています。例えば、バガラ章雌牛、ナムル章蟻、アル・ライラ章夜、アル・ガマル章月、アル・ファジュル章暁、ザルザラ章地震などです。イスラム後のイランの陶器や様々な建築に用いられた模様にも、特にイスラムが入った直後は、自然や植物の要素が多く使われています。水は、イスラムで、生活、清らかさ、神への礼拝のための用意の要素と見なされ、それを汚したり、無駄にしたりすることは、大きな罪だとされています。コーラン第21章アル・アンビヤー章預言者、第30節で、水は神の恩恵であり、生命の源だとされています。
全ての神の宗教は、人間は楽園から追われた存在であり、神の教えを実行すれば、いつの日か、約束された楽園に帰されるとしています。しかし、楽園から遠ざけられた人間は、昔からそこでの生活を強く願ってきたため、様々な時代に、現世の生活環境を楽園のような形にしようと努めてきました。このような努力が、人間の傑作となる庭園を生み出したのです。イスラム後のイランの人々の宗教的な信条においては、庭園を意味する言葉として使われていたパルディース、あるいはフェルドゥースという言葉は、楽園という意味でも使われていました。またそれはミノとも呼ばれていました。ギリシャ語、その後のヨーロッパの他の言語でも、楽園や天国の庭園を意味する言葉として、このパルディースを由来とする単語が使われていました。
イスラム教は、敬虔な人間に対し、楽園に永遠に住むことになると約束しています。イスラム教徒に約束された楽園には、湧き出る泉、緑豊かな峡谷、宝石のちりばめられた黄金の王座、数階建ての庭園、階段、楽園に入るための数々の扉、開放された空間、壮麗な宮殿、たくさんの果実をつけた木があります。コーランの節で敬虔な人間に約束されている楽園は、イランのイスラム教徒の芸術家が、都市開発や建築作品を創造する際の理想的なモデルとなっています。彼らは、楽園を再現したものを、現世に作り出そうとしているのです。
大地の自然な傾斜を利用し、最も高い地点に宮殿を建てること、それが、天国の庭園、フェルドゥースの姿だと考えることができます。コーランの中に38回も出てくる楽園の美しい現象の一つは、下を小川が流れる庭園です。この表現を、イランの人々はカナートと呼ばれる地下水路で使用しています。コーランは、人間が緑豊かな自然について持っているイメージをもとに、来世の楽園を描いており、イスラム教徒の建築家は、その描写をもとに、はかない現世における楽園を建設しているのです。