光の彼方への旅立ち、ルーム章(6)
コーラン 第30章 ルーム章 ローマ 第27節~第29節
慈悲深く、慈愛あまねき、アッラーの御名において
第27節
「彼こそは、創造を始め、その後それを戻される方である。これは彼にとって容易いことである。天と地の最高の姿は彼のものである。彼は英明で全能であられる」(30:27)
(27)وَهُوَ الَّذِي يَبْدَأُ الْخَلْقَ ثُمَّ يُعِيدُهُ وَهُوَ أَهْوَنُ عَلَيْهِ وَلَهُ الْمَثَلُ الْأَعْلَى فِي السَّمَاوَاتِ وَالْأَرْضِ وَهُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ
これまでの番組で、聖典コーランは、創造世界における神のしるしについて触れ、それらのしるしは、神の無限の英知や力を物語っているとお話しました。この節は続けて、復活についてこのように語っています。「創造を始めた神は、最後の審判で、それらを再び戻すことができる」
神にとって、何かをすることが特に難しい、あるいは簡単だということはありません。難易度の違いは、能力に限界がある人間のみのものです。しかし、神はこの節で、私たち人間の言葉で語り、私たちがより簡単に理解できるようにしています。
「あなた方人間の中で、再び創造することは、最初に創造することよりも簡単である。何の制限も持たず、あらゆる優れた性質を持つ至高なる神に、それができないなどということはない」
第27節の教え
● 神の性質は、人間の想像や表現を超えたものです。誰も、また何ものも、神と比較することはできません。神はあらゆる点で、創造物よりも優れているのです。
● 神の英知により、死後の世界が存在します。人間の運命は、死によって終わるわけではありません。
第28節
「神はあなた方のために、あなた方の中からたとえを示している。あなた方は、我々が日々の糧として与えたものを、奴隷たちと平等に分かち合うだろうか? また、互いに恐れを抱いているように、彼らにも恐れを抱くのだろうか。我々は、考える人々のために、節を説き明かす」(30:28)
(28)ضَرَبَ لَكُمْ مَثَلًا مِنْ أَنْفُسِكُمْ هَلْ لَكُمْ مِنْ مَا مَلَكَتْ أَيْمَانُكُمْ مِنْ شُرَكَاءَ فِي مَا رَزَقْنَاكُمْ فَأَنْتُمْ فِيهِ سَوَاءٌ تَخَافُونَهُمْ كَخِيفَتِكُمْ أَنْفُسَكُمْ كَذَلِكَ نُفَصِّلُ الْآيَاتِ لِقَوْمٍ يَعْقِلُونَ
多神教徒は、神の創造物を、神と同等の崇拝の対象とし、それらにも神と同じように、世界のすべての事柄において力を及ぼすことができると考えていました。この節は、そのような多神教徒の誤った考え方を否定するため、ひとつのたとえを挙げ、次のように語っています。「もしあなたたちが奴隷の所有者であったとしたら、その奴隷たちにも、あなたたちの財産を保有する権利を与えるだろうか? 彼らをパートナーと見なし、あなたたちが占有するのと同じように、あなたたちの財産を占有する権利を与えているだろうか?あなたたちは、自分の奴隷を自分と同じ立場にあるものとは考えない。それなのに、神の所有物に過ぎない創造物のことを神と同等に据え、それらが、神の行いに干渉する権利があったり、創造世界のさまざまな問題がそれらによるものだと考えたりしている。もしもあなたたちの奴隷があなたたちと同等のものであるというのなら、神の創造物も神と同等に据えることができるだろう。だが、あなたたちは、奴隷が許可なくあなたたちの財産を占有するのを許さない。それなのにどうしたら、神の創造物が、神の許可もなしに神の問題に干渉することができるなどと考えるのだろうか?」
第28節の教え
● 良心は最良の判断者です。自分と同じ人間が、自分よりも下の立場にあるからといって、その人を自分と同等の立場にあるものとは見なしません。それなのに、神とは似ても似つかず、神によって創造された個人やものを、神と同等に据えています。
● コーランの節は、理性と論理に基づいて人間に語りかけ、常に、人間に知性を使ってよく考えるよう呼びかけています。
第29節
「そう、圧制を行った者たちは、知識もなく、欲望に従った。そこで、神が迷わせた者を誰が助けることなどできようか? 彼らを助ける者はいない」(30:29)
(29)بَلِ اتَّبَعَ الَّذِينَ ظَلَمُوا أَهْوَاءَهُمْ بِغَيْرِ عِلْمٍ فَمَنْ يَهْدِي مَنْ أَضَلَّ اللَّهُ وَمَا لَهُمْ مِنْ نَاصِرِينَ
前の節に続き、神は、論理と理性によって受け入れられるたとえをあげています。この節は次のように語っています。「神と同等に別の崇拝の対象を据える人々は、論理や理性から離れ、自分の欲望に従っている。彼らは、科学的な根拠もなく、多神教信仰に走り、その結果、自分自身に対して最大の圧制を行っている」
理性と知識を捨てて欲望に従えば、迷いに陥り、導かれることはありません。なぜなら、導かれるためには、人間に知識と見識を与えてくれる真理の理解に向けて、理性と論理をより所にすることであるからです。しかし、真理を理解しようとするのではなく、自分の欲望を満たすことだけを考える人は、理性ではなく、心の赴くままに従っています。そうである限り、人間が導きを得るこことはなく、その人が自分で欲望を捨て、理性の道に戻らない限り、誰かに助けてもらうこともできません。
第29節の教え
● 唯一神信仰という正しい道から外れることは、ある種の自分自身に対する圧制です。イスラムでは、自分自身に対する圧制も、他人に対する圧制と同じくらい醜い事柄とされています。なぜなら、そのような圧制は、神とその預言者に対する圧制にもつながるからです。
● 今日、偶像、人間や動物の像を崇拝する習慣が続いていますが、そのような多神教崇拝は、現代における人類の無知を示しています。今日、人類はあらゆる問題に関して、理性と知識を活用していますが、創造世界の起源である神に関しては、無知や迷信に陥っています。