ラマザーン月、聖なる月(10)
今回は、シーア派初代イマーム・アリーが現在のイラク・クーファのモスクで礼拝中に襲撃され、これにより殉教した出来事についてお話することにいたしましょう。それから、コーランの朗誦をお聞きいただき、コーランの節の教えについてご紹介し、最後に、ラマザーン月において、医学や食生活に関して、留意したい事柄についてご説明することにいたしましょう。
2日日曜は、イマーム・アリーが襲撃を受けた日に当たります。この偉人の気高さは、言葉では表現できないほどのものです。西暦661年に当たるイスラム暦40年ラマザーン月19日、彼はクーファのモスクで早朝の礼拝をしていた最中に、ハワーリジュ派の一味イブン・ムルジャムにより、刃物で襲われ負傷し、その3日後に殉教しました。
西暦657年の現在のシリア北部に当たるスッフィーンでの戦争の後、一部の人々がイマームアリーに反対して立ち上がり、戦いを挑みました。彼らは、ハワーリジュ派として知られており、659年のイラク・ナフラヴァーンでの戦いでイマーム・アリーに敗北しています。ハワーリジュ派の逃亡者たちは、メッカを自分たちの作戦の拠点としました。彼らのうち3人はそれぞれ、イマームアリー、ウマイヤ朝の初代の支配者ムアーウィヤ、そしてムアーウィヤの盟友アムル・イブン・アル・アースを殺害しようと決意しました。このうちの一人がイブン・ムルジャムでした。
イマーム・アリーは、最後のラマザーン月に、不思議な状況に遭遇していました。ラマザーン月19日の前夜にあたるその日、彼はコーラン第36章ヤー・スィーン章、「ヤー・スィーン」の節を唱え、空を眺め、こう呟きました。
“今夜はまさに、神が私にお会いくださる約束をなされた日である”
イマーム・アリーは、ラマザーン月19日の朝早く、モスクに赴きました。彼は、クーファにあるモスクに入ると、その一番高い場所に上り、礼拝の時刻の到来を知らせる合図・アザーンを伝えました。それから、神への賞賛を唱え始めました。彼は、モスクで就寝していた人々を礼拝のために起こし、次のように呼びかけるのが習慣になっていました。
“礼拝の時間だ。礼拝をすれば、神があなた方を赦してくださる。さあ、起きなさい。そして義務としての礼拝をするがよい”
このとき、イブン・ムルジャムはモスクの片隅で寝たふりをしながら悪意をめぐらせていました。そこへ、イマーム・アリーがやって来ました。彼は、イブン・ムルジャムに向かって「起きなさい。このように寝ているのは、神の怒りを買うことになる」と告げ、メッカの方向を示す壁がんに向かって歩き出し、礼拝を始めました。礼拝中、彼は長い時間額を地面につけたままでいました。イブン・ムルジャムがこの隙をついて、イマーム・アリーが2回目の跪拝をする前に、剣でイマーム・アリーの頭部を切りつけました。彼は、傷を負った痛みをこらえ、次のように述べました。
“神に誓って、私は救われた”
イブン・ムルジャムの剣に塗られた毒が、イマーム・アリーの体を襲い、モスクは騒然とした雰囲気に包まれました。息子のハサンとホサインは、重傷を負った父を家に運び込みました。はげしい出血のため、彼は顔面蒼白でした。そこへ、怪我を負わせたイブン・ムルジャムが連れてこられました。イマーム・アリーは、弱弱しくも優しさをこめて、イブン・ムルジャムに次のように問いかけました。
“私は、お前からこのような仕打ちを受けなければならないほど、ひどいイマームだったのか?”
イマーム・アリーは、息子であるイマーム・ハサンに対し、今回のイブン・ムルジャムの行動への対処方法について説明し、次のように告げました。
“我が息子よ、自分の捕虜に親切に対応し、彼に優しさと哀れみをもって接するがよい”
そこで、イマーム・ハサンは次のように述べました。
“父上!この呪われた人物は、父上に重大な傷を負わせ、我々の心を痛めつけました。それでも父上は、この男に哀れみ深く接しなさいとおっしゃるのですか?”
すると、イマーム・アリーは次のように語りました。
“わが子よ、我々は誇りあるいつくしみ深き預言者の一門である。これゆえ、お前が飲んだり食べたりするものを、イブン・ムルジャムにも与えよ。もし私が死に、イブン・ムルジャムに対し復讐するならば、彼自身1回だけ剣で切りつけているゆえ、彼の頭にも1回だけ剣を振り下ろすがよい。だが、もし自分が生きながらえたなら、あの男にどう接するべきかは、自分がよく分かっている”
今回はまず、コーラン第4章、アン・ニサーア章「婦人」、第69節をお聞きください。
”神とその使徒に従う者は、現世と来世において、神が恩恵を施された預言者たち、誠実な者たち、殉教者たちと公明正大な人々の仲間となる。彼らは、何と立派な仲間であることか”
コーランのこの節では、神とその預言者の命に従い、預言者による命に服従する者は神の恩恵が与えられる人になると述べられています。また、イスラム教徒なら誰でも、1日に最低10回は唱えることになるコーラン第1章、アル・ファーティハ章、「開端」においては、これらの優れた人々について述べられています。彼らを正しい道に導くようにとの神への要請の後には、正しい道とは神が恩恵を与えた人の道とされています。そのような道を歩む人々は、道を外れたりすることがありません。
コーラン第4章、アン・ニサーア章「婦人」第69節では、神が恩恵を与えてきた人々について述べ、彼らを4つのグループに分けています。第1のグループは、人々を正しい道へと指導するために努力している預言者たちです。2番目のグループは、誠実な人々であり、彼らはあらゆる場合において真実を述べ、言動によってその正しさを証明します。ですが、自分たちが信心深いとは主張せず、神の命を本当に信じている人々です。コーランのこの節では、預言者たちの地位に次いで、誠実さより高い地位は存在しないことが明らかにされています。
3番目のグループは、最後の審判の日に人間の行動の証人となる優れた人々だとされています。最後の4番目の人々は、善良な人々、つまり善行を行い、預言者の命に従って高い地位に到達した人物で、神の恩恵を受けるにふさわしい人物とされます。そしてもちろん、こうした人々が善良な仲間であることは言うまでもありません。
それでは、今夜の最後のプログラムとして、ラマザーン月における食生活や医学面での留意事項についてお話することにいたしましょう。
人間の体は、生まれてから死ぬまでに、本質的な生存欲として水や食物を必要としています。植物であれば、水を摂取できなければしおれてしまいます。人間も、水を摂取できなければ衰弱し、最終的には死んでしまいます。地球の70%は水分であり、同様に人間の体も70%を水分が占めています。
人間が生きていくために最も良い条件とは、少なくとも全体の70%を水分が占める食物を摂取することです。健康医学の専門家は、ハチミツのほか、水分を多く含む果物、野菜の摂取を奨励しています。これらの食物は、本来的に水分を多く含むとともに、生鮮食料品でもあります。水分を多く含む食物以外の食物は、調理や加工、或いは浄化されていることから、本来の形態を失ってしまっています。
一般的に、生鮮食料品には、豊富な水分が含まれていますが、それ以外の加工食品などには水分が全く含まれない、もしくはごくわずかの水分を含むのみとなっています。たとえば、ハチミツの成分の20%は水分ですが、これに対し上白糖はわずか3%であり、角砂糖には全く水分が含まれていません。つまり、ハチミツは生鮮食料品であり、コーランでも述べられているように医薬食品でもあります。コーラン16章、アン・ナフル章、「ミツバチ」第68節と69節には、次のように述べられています。
“またあなたの主は、蜜蜂に啓示を下した。「山々や樹木、そして人々が組んでいる足場の中に巣をつくり、それから、地上の各種の果実を吸い、あなたの主の道に、障害なく従順に働くがよい」 それらは、腹の中から様々な異った色合いの飲料を出し、それには人間を癒すものがある。誠にこの中には、熟考する者への一つの印がある”
このように、ハチミツは断食前の朝食や断食終了後の軽食にとって最高の飲み物といえます。特に、ラマザーン月も後半を迎えると、それまで断食をしてきた人々にも疲れが見えはじめ、食物栄養面でより細やかな配慮が必要になってきます。この問題に配慮しない場合、ラマザーン月の終了時、あるいは長期的にみてその悪影響が現れてきます。
このような折に、ハチミツの摂取は非常に効果があります。ハチミツは、消化がよく、エネルギー源となる天然の健康食品であり、炭水化物やたんぱく質、脂質、酵素、ビタミンを含んでいます。スプーン1杯のハチミツは、およそ60キロカロリーのエネルギーを生み出し、炭水化物11グラム、カルシウム0.1ミリグラム、鉄0.2ミリグラム、ビタミンBが1ミリグラム、ビタミンCが1ミリグラム含まれています。イランの伝統医学の専門家コルダフシャーリー博士によれば、水とハチミツは胃を強化し、食欲を抑えるとされています。
ハチミツは、ジアスターゼの助けにより、心臓の周辺の脂肪を溶かすことから、高齢者や心疾患の患者にはその摂取が奨励されています。ハチミツは、特にガラクトースを豊富に含むことから、心臓の筋肉やその強化、刺激に大きな効果があり、血管の拡大や血圧の調整、心筋梗塞の予防につながるのです。