タブリーズ大学
今回ご紹介するのはイラン北西部にあるタブリーズ大学です。
タブリーズ大学は、イランで二番目に歴史のある、北西部で最大の学術機関とみなされています。タブリーズ大学はイラン北西部の高等教育の拡大において重要な役割を果たしており、アルダビール、マラーゲ、ボナーブに研究所があります。1922年にこの大学創設の構想が提示されましたが、実際には1945年にタブリーズに、前身となる大学が創設されました。幾多の変移を経て1947年、タブリーズ大学は文学部と医学部の二つを備えて、テヘラン大学に次ぐ二番目の大学として開校しました。
1959年まで、大学の建物はタブリーズ市内に散らばっていましたが、大学をまとめ、それを発展させるために、現在大学がある、24万7千平方メートルの敷地が購入され、当時のザンゲネ文化大臣により式典が催された後、大学の建物の建設が始まりました。
タブリーズ大学の創設から現在まで、大学の名前は何度か変わりました。この間、5回の名称変更が行われ、最終的に1979年のイスラム革命の勝利後、タブリーズ大学という名に落ち着きました。
現在、タブリーズ大学は70周年を迎え、21の学部、10の研究所、3つの都市に衛星学部を有しています、2万4千人を超える学生、750人の学会の会員、200の専門的、一般的実験所、殉教者、歴史、文化、動物学、地学の博物館を有し、国内の優れた大学の一つ、イラン北西部最大の高等教育機関とみなす上で、非常に大きな可能性を整えています。
さらにタブリーズ大学は1987年1月、工学部の学生22人が殉教したことにより、イランの大学の殉教者墓地として知られています、この22人の学生はイランイラク戦争の前線で同胞を後方支援していましたが、イラクの戦闘機の攻撃を受けて殉教しました。
タブリーズ大学の創設から現在まで、常にこの大学からは多くの優れた学者や人物が輩出されてきました。さらに世界的にも知られるイランの著名な詩人、モハンマド・ホセイン・シャフリヤールは、この大学の文学部の名誉教授でした。
タブリーズ大学は、国内外で多くの名誉を受けてきました。その中で、トムソンロイターのランキングで世界の影響力のある大学の1%に入ったこと、2014年にはオランダの研究所のランキングでイランで2位、世界で531位になったこと、また多くの称号を受けていること、また教授陣が世界の重要な学会に影響を及ぼしていることなどが挙げられます。
さらにこの大学は、国際的な大学連合で活動を行っており、フランス、イタリア、ドイツ、日本、トルコ、アゼルバイジャン、タジキスタン、キプロス、タイなど世界の大学と50以上の協定を締結しています。
最新の統計によれば、2015年から2016年、2万4千人を超える学生がタブリーズ大学に在籍しており、学生数の多い学科の順に、開発工学、機械工学、機械・製造・生産学、電気工学、電気・電子工学、ペルシャ語・文学となっています。また農学部が最も多くの学生数を抱えています。
タブリーズ大学の高い学術レベルや重要性により、外国人留学生もこの大学で学んでおり、2015年には、10か国からのおよそ30人の留学生が、タブリーズ大学で勉強していました。地理・都市計画、畜産、開発工学、情報技術、電子工学が特に人気があります。留学生の多くは、近隣のイスラム諸国やアジア諸国の出身者で、モンゴル、トルコ、イエメン、レバノン、タジキスタン、シリア、イラクから来ています。留学生の数が最も多いのは電子工学とコンピュータ工学の学部となっています。
イエメンの留学生、サラーフッディーン・アルザウラーニーさんは、電子工学での勉強を続けるためにイランにやってきました。彼はイランを選んだ理由として、イランの大学、特にタブリーズ大学の学術レベルの高さと、電子工学科の信用度の高さを挙げています。彼はタブリーズ大学で勉強できることをうれしく思うとし、「イエメンの人々はイランの人々が本当に好きだ」と述べています。また、「イランの大学は中東で非常に有名で信用がある」とも述べています。