シャヒードベヘシュティ大学
今回ご紹介するのはテヘラン・シャヒードベヘシュティ大学です。
1960年、イランでの学術・教育機関の拡張と共に、テヘラン北部でメッリー大学という名前の大学が活動を始め、後にこの大学の名称はシャヒードべへシュティ大学に改められました。イラン・メッリー大学の設立の構想は、資料によれば、1911年に遡ります。イラン社会の専門的な人材教育に向けた正式な学術機関の創設の必要性は、ダーロルフォヌーンの創設と学校の拡大、新しい思想のイランへの流入後に生じました。
パフラヴィー政権による近代化の模倣政策により、近代的な制度に基づく体制の樹立が政策に入れられました。この中で、大学の創設が最優先事項となり、1934年、テヘラン大学の創設は、イラン全国における大学の設置に向けた動きを開始しました。2,30年のうちに、数々の大学が創設され、目覚ましい成長を遂げました。しかしながら、テヘラン市内の「メッリー大学」の創設は、テヘラン大学がまだ完成されておらず、私立の大学を創設するのではなく、既存の大学を完成させるべきだという意見により、延期されました。最終的に1954年、アリー・シェイホルエスラーム博士が、若者の国外への流出を防ぐための方法として、メッリー大学の創設を、当時の政府に提示し、この提案は受け入れられました。
メッリー大学の創設案が承認されると、シェイホルエスラーム博士に、欧米の私立大学に関する調査が命じられました。彼は1959年に調査を終えると、イランに帰国し、当時の政府の承認を得て、その年の秋にメッリー大学事務局を非公式に自宅で開設しました。事務局は大学の創設の準備と、欧米で勉強したものの職についていない卒業生の経歴に関する情報収集を始めました。準備が整えられた1959年、シャヒードベヘシュティ大学は創設され、その規約書が当時の文化評議会で承認されました。
メッリー大学は政府からの支援があったにもかかわらず、創設されて数年間は、学生からの授業料を重要な財源としていました。この大学の創設者であったシェイホルエスラーム博士は、少しずつアメリカで勉強した人々を誘致していきました。この大学の最初の学術理事会のメンバーは多かれ少なかれ、アメリカで学んだ学生で構成されていました。シェイホルエスラーム博士は、社会の中流階級のイラン人エリートをこの大学に誘致しようとしていました。こうしたことにより、イランメッリー大学は、新設であり、授業料をとったことから、裕福な家の学生以外、学生にとって優先的な大学ではありませんでした。
1960年代から1970年代の間、大学の建物は拡張され、この大学で数々の学部が開設し、様々な専門の学生が学んでいました。メッリー大学の最大の変化は1975年、当時の政府が私立の大学に予算を充て、授業料を無料にしたときに起こりました。これにより、メッリー大学の学生層も、裕福な上流階級だけでなく、様々な階層や境遇の学生が入学試験を受けて全国からこの大学に入ってきました。こうしてこの大学は他の大学と同じように一般的な大学になりました。
1979年のイスラム革命の勝利後、同年の革命評議会で可決された法により、それまで私立大学とみなされていたメッリー大学は、国立大学となり、1983年、当時の文化革命本部が大学の名前をメッリーからシャヒードベヘシュティ大学に変えました。ベヘシュティ師は、イランイスラム革命と国の一般の文化に貢献した聖職者です。1985年、保健医療教育省の創設に関する政府の承認事項に基づき、医療センターと医学部、医療補助学部が大学から分離され、一部の教育センターが統合された後、シャヒードベヘシュティ医療大学としてその活動が始まりました。
2016年現在、シャヒードベヘシュティ大学は56年の歴史を有し、800人以上の学術理事会の会員がおり、この点でイランで第2位となっています。この大学はさらに、19の学部があり、実際、総合大学となっています。イランでこの大学ほど様々な分野の学生が学んでいる大学はありません。
シャヒードベヘシュティ大学は、学部が集まっているという点も特徴です。この大学はテヘラン北部のヴェレンジャック地区のおよそ70平方キロメートルの敷地に、学部、研究所、寮、事務局などを有し、学生たちに便宜をはかっています。
現在、シャヒードベヘシュティ大学は、57のメインの建物、19の学部、また数々の研究所を有しています。この大学の研究所は応用科学と人間科学の二つに分けられています。この大学には最新の実験所もあり、最新の電子顕微鏡やその他の分析のための装置を備えています。さらに、この大学は、貴石学実験所を有し、レーザー技術など最新のテクノロジーと装備を備えた初めての大学となっています。
シャヒードベヘシュティ大学は、国内外で多くの名誉を受けています。その中で、2015年のランキングで、584番目の学術的に権威ある大学となったこと、さらに世界の知識生産において上位10%に入っていることなどが挙げられます。
統計によれば、2015年、シャヒードベヘシュティ大学では、1万9692人の学生が237の専門分野で学んでいます。学生数が多い学部は、経営、会計、文学、人文学、電気工学、法律となっています。
シャヒードベヘシュティ大学の学術レベルの高さから、2015年には少なくとも245人の外国人留学生が学んでいました。学生は主に中東やアフリカ、中央アジアの出身者で、理系や文系の様々な学部に在籍しています。
セネガルから留学している25歳のグラングームさんは、現在、イラン学の博士課程の第二期生で、シャヒードベヘシュティ大学の文学学士号を取得しています。彼は学業を続けるのにこの大学を選択した理由として、イランとセネガルの学術交換協定はさることながら、イランの大学の学術レベルにあるとし、学業を終えたら国に戻り、イラン学を教えるつもりだと述べています。