12月 19, 2021 23:38 Asia/Tokyo
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今回も、コーラン第8章アル・アンファール章戦利品についてお話ししましょう。

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

アル・アンファール章は、コーランの8番目の章で、イスラム暦2年にメディナで下され、全部で75節あります。この章の第1節で、公共の財産とその消費方法について語られているため、この章は、アンファール・戦利品という名前がつけられています。この章はまた、バドルとも呼ばれていますが、それはこの章が、バドルの戦いの後に下されたことに由来します。

 

この章では、敵の攻撃に対するイスラム教徒の義務、ホムスと呼ばれる喜捨、神の道における戦い・ジハードのための政治、社会、戦闘の面での準備、戦争捕虜の問題と彼らの扱い方、イスラムによる戦士たちの強化、といった問題について述べられています。また、神の道における移住と移住者の問題、偽善者の判別、彼らへの接し方についても触れられています。アル・アンファール章第27節には次のようにあります。

 

「信仰を寄せた人々よ、神と預言者を裏切ってはならない。またそうと知っていながら、互いの預かり物を裏切ったりしてはならない」

 

コーランにおいて、預かり物に対して責任を取ることには幅広い意味があり、社会、政治、道徳など、生活のあらゆる側面を含んでいます。預かり物に対して責任を果たさないのは、容認されない行為です。預かり物は、誰からのものであっても、それに対して責任を果たさなければなりません。これは、全てのイスラム教徒に課された、宗教的、道徳的な義務の一つです。

 

歴史には次のようにあります。バニ・ゴライザ族のユダヤ教徒たちが約束を破り、イスラム教徒の敵たちと手を組みました。そのためイスラムの軍隊が、彼らを取り囲みました。そのとき、サアド・イブン・マアーズがイスラム教徒を代表して彼らと交渉することになりました。しかしユダヤ教徒は、その前にアボルバーベという名前のイスラム教徒を連れてきて欲しいと頼みました。なぜならアボルバーベは、以前にユダヤ教徒と友好的な関係にあったからです。また、彼の家族と子供たち、財産も、ユダヤ教徒の許にありました。預言者は、このユダヤ教徒の要請を受け入れました。彼らはアボルバーベに対し、サアド・イブン・マアーズの仲裁を受け入れるのは得策かどうかと尋ねました。アボルバーベは、自分の首を指差しました。つまり、もしそれを受け入れれば、殺されてしまうという意味です。そこで、ユダヤ教徒はこの提案を受け入れませんでした。そのとき、大天使ジブライールが、預言者にこのことを明らかにし、第27節と28節が下されました。

 

アボルバーベは、自分が神と預言者を裏切ったことを知り、焦燥感にかられました。そこで、預言者のモスクの柱の一つに自分を縄で縛りつけ、神から罪の赦しを得ない限り、死が訪れるまでは、食事も水も口にしないと誓いました。こうして7日7晩が過ぎ、アボルバーベは、空腹とのどの渇きで意識を失ってしまいました。そのとき、慈悲深い神は、彼の罪の悔悟を受け入れました。イスラム教徒たちによって、この知らせがアボルバーベに届けられました。しかしアボルバーベは、預言者が来て自分の縄をほどいてくれるまで、自分では決して縄をほどかないと誓いました。そして預言者に縄をほどいてもらいました。

 

実際、財産や子孫、個人的な利益に執着しようとする心は、時に、人間の目や耳を幕で覆ってしまいます。その結果、人間は過ちや裏切りを犯し、社会に悪影響を及ぼすのです。しかし、重要なのは、アボルバーベのように、すぐに自分の過ちを悟り、それを償おうと努めることです。

 

「[思い出すがよい。]不信心者たちが陰謀を企て、汝を投獄するか、殺害するか、それとも[メッカから]追放しようとしたときのことを。彼らはその方法について考えた。神もまた対策を講じた。神は最高の解決者である」

 

この節は、預言者がメッカからメディナに移住することにつながった、様々な出来事に触れています。これらの出来事は、コーラン解釈者によって、様々な形で伝えられていますが、それらは皆、事実をなぞったものであり、神は奇跡的な方法で、預言者を大きな危険から救いました。多神教徒たちは、預言者が自分の宗教を捨てるつもりがないのを見ると、秘密裏に協議し、預言者を消滅させることにしました。この協議では、いくつかの提案が出されました。一つは、預言者の命が尽きるまで、彼を牢獄に閉じ込めておくというものでした。しかし他の人が、預言者の仲間たちが助けにやって来て、隙を見て、預言者を解放してしまうだろうと言い、その提案は破棄されました。別の一人は、預言者をこの町から追放したらどうかと提案しました。しかしそれも、預言者の言葉が、多くの人々に影響を与え、支持されているため、多くの人の反対にあい、自分たちが町から追い出されてしまうだろう、という理由で却下されました。そこで、アブージャハルは言いました。「それぞれの部族から、勇敢な若者を選び出し、その人たちの手に、よく切れる剣を渡し、集団で預言者を攻撃させるのだ。そして夜、預言者が寝ている間に寝床で殺害してしまおう。もしこのやり方で預言者を殺害したら、部族の人間が全員で、その責任を取り、彼の血の報復を逃れるだろう」

 

このとき、神の大天使ジブライールが降り立ち、預言者に、夜、寝床で眠らないように求めました。預言者は夜になると、洞窟に行き、後に初代イマームとなるアリーに、自分の寝床に横たわるように求めました。敵が預言者の家を襲ったとき、寝床にいたのは預言者ではなく、アリーでした。敵が預言者はどこだと尋ねると、アリーは知らないと言いました。多神教徒たちが預言者の足跡を追うと、洞窟の近くに着きました。しかし驚いたことに、洞窟の入り口にはくもの糸がはっています。もし預言者がこの洞窟に来ていたのなら、くもの糸が入り口にはっているはずはありません。そこで多神教徒たちは引き返しました。その後、預言者は3日間、洞窟に留まり、敵が預言者を見つけるのをあきらめた頃、メディナに向かいました。

 

預言者のメッカからメディアへの移住は、イスラムの歴史だけでなく、人類史の新たな局面の始まりであったことから、神はいくつかの蜘蛛の糸によって、歴史を変えたのだと言うことができます。過去の預言者たちの時代にも、神は、最も簡単な手段によって、悪を行う人々を懲らしめることがありました。あるときは風によって、またあるときは蚊の大群によって、またあるときは、小さな鳥たちによって。それは、神の無限の力に対する人間の弱さを示し、人間の反抗を妨げるもためのものでした。

 

アル・アンファール章の第53節には、様々な民族の運命に関する教訓に満ちた重要な教えが述べられています。

 

「これは、神がある集団に与えた恩恵を、彼らが自分自身を変えない限り、変えることはないためである。神は全てを聞き、知っておられる」

 

過去の歴史における様々な民族の発展や進歩、あるいは衰亡や離散の原因を調べようとするとき、コーランは、それらの原因を、様々な民族の社会的な制度、道徳、精神、考え方の中に探らせようとします。コーランによれば、社会の変化の根源を見出すためには、その社会の制度、道徳、精神、考え方を調べる必要があります。この節は、人間には、あらかじめ決められた運命などはなく、人間の生活や歴史を作る要素は、人間が自分の意志によって、道徳、考え方、生活様式の中に生み出す変化であるという点を指摘しています。

 

神の慈悲は全ての人に無限に及ぶものですが、人々は、その能力に応じて、この慈悲を利用します。神は、様々な民に、物質的、精神的な恩恵を授けています。そのため、彼らが真理のために神の恩恵を利用し、自分の成長のための手段にするのであれば、神はその恩恵を増やします。しかし一方で、この恩恵が、堕落や反抗のための手段とされれば、それは減らされ、彼らにとって、災厄や災難となるのです。

 

第65節は、再び、イスラムの考えるジハードの問題に触れています。それは、イスラム教徒が、いつも敵との力のバランスを期待すべきではなく、敵に侵略された際には、時に2倍かそれ以上の数の敵に挑むべきであり、敵に対する数的不利を口実にすべきではないということを示しています。戦場ではほとんどの場合、敵の方が力の点で優勢であり、イスラム教徒は常に、軍備や兵士の数の点で、不利な状況にありました。とはいえ、力の面での優勢は、表面的には勝利の要素の一つですが、イスラム教徒が軍備や兵士の数の不足にも拘らず、大きな勝利を手にしてきたのは、信仰による抵抗の精神によるものです。信仰により、イスラム教徒は数倍の敵に対して抵抗し、彼らに勝利しました。神は第74節で次のように語っています。

「信仰を寄せ、移住し、神の道において戦った人々と、また彼らを助けた人々、彼らこそ、真の信者である。彼らには神の[慈悲と]赦し、ふさわしい糧がある」

 

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