コーラン第59章アル・ハシュル章集合
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コーラン第59章アル・ハシュル章集合
今回は、コーラン第59章アル・ハシュル章集合についてお話しましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・ハシュル章はメディナで下され、全部で24節あり、主に、イスラム教徒とユダヤ教徒の集団の闘争について記されています。
アル・ハシュル章の内容は、すべての存在物の神への賞賛、メディナの約束を破ったユダヤ教徒とイスラム教徒の対立、メディナの偽善者とユダヤ教徒との協力、イスラム教徒への忠告、コーランに関する興味深い説明、神の性質と神の名前などとなっています。アル・ハシュル章は、神を賞賛することで始まり、神を賞賛することで終わっています。
「天にあるもの、大地にあるものは、神を賞賛する。神は英明で偉大な方であられる」
コーランは、多くの箇所で、天使や人間、動物や植物など、天と地にある存在物が神を賞賛していることに触れています。研究者たちによれば、世界の存在物は理解力を有しており、私たちは知らなくても、皆が神を賞賛しています。
メディナの周辺のイスラム教徒の周りには、3つのグループのユダヤ教徒が暮らしていました。彼らはイスラムの預言者ムハンマドと、不可侵を約束していました。しかし、機会があればいつでも、彼らはこの約束を破っていました。イスラム暦3年のウフドの戦いの後、彼らのリーダーは、40人のユダヤ教徒と共にメッカに行き、クライシュ族と契約を結び、互いに助け合って預言者ムハンマドに対抗することを誓い合いました。この知らせは、神の啓示によって預言者ムハンマドのもとに届けられました。
歴史には次のようにあります。ある日預言者ムハンマドは、数人の長老や教友たちと共に、ユダヤ教徒のグループのひとつ、ナズィール族のもとにやってきました。預言者がユダヤ教徒の城砦の外でそのリーダーと話をしていたとき、ユダヤ教徒の間で陰謀の種がまかれ、彼らは互いにこう言いました。「一人が屋根裏に行き、大きな石を預言者の頭に投げて、彼を殺してしまおう」 ユダヤ教徒の一人が、自分がそれを実行すると言い、屋根裏に行きました。神の預言者ムハンマドは、啓示によってこの陰謀を知り、すぐに立ち上がってメディナに引き返しました。
ユダヤ教徒の約束違反が、預言者に明らかになったとき、イスラム教徒たちは、この約束を破った民との戦いの準備に入りました。ユダヤ教徒はそのことを知ったとき、強固な城砦を打ち立て、扉をしっかりと閉めました。預言者は、神の赦しを得て彼らを包囲するよう指示しました。包囲は数日間、続けられました。預言者は、流血を防ぐため、メディナの町を離れるよう彼らに提案しました。彼らもそれを受け入れ、わずかな財産だけを持ち、残りはそこに残しました。こうして残った彼らの財産や土地、住宅は、イスラム教徒の手に渡りました。
アル・ハシュル章の第1節から5節は、イスラム教徒に対するユダヤ教徒の約束違反や陰謀と、それに対する預言者の反応に触れています。第1節は、ナズィール族のユダヤ教徒がメディナを追われた理由について次のように語っています。
「彼は、啓典の民である不信心者をはじめて家から追い出した人物である。あなた方は決して、彼らが[祖国を]出て行くとは考えていなかっただろう。彼らもまた、強固な城砦が、彼らの敗北と神の責め苦を妨げてくれると考えていた」
コーランの節の内容から、ナズィール族のユダヤ教徒は、メディナで、多くの可能性を有していたことが理解できます。そのため、彼ら自身はもちろん、他の人々も、それほど簡単に彼らが敗北を喫するとは考えていませんでした。しかし、神は、神の意志の前には何ものも抗えないことを全ての人に明らかにしようとしました。そのため、争いごとが起こることなく、彼らは自分の土地を終われました。コーランは続けて、次のように語っています。
「だが神は、彼らが予期しなかったところから彼らを襲い、彼らの心に恐怖を投げつけた。彼らは自分の家を自分の手と敬虔な人々の手によって破壊した」
そう、神は目に見えない軍勢、つまり恐怖を彼らの心に植え付け、あらゆる動きや抵抗の力を彼らから奪いました。こうして彼らは困難に陥り、自分たちの家を破壊する敵たちに協力しました。興味深いのは、イスラム教徒が、外から彼らの城砦を破壊して中に入った一方で、ユダヤ教徒たちは、内側からそれを破壊し、生き延びてイスラム教徒の手に落ちないようにしたことです。その結果、彼らの城砦は崩れ落ちました。この節は終わりに、全体的な結論として次のように述べています。「洞察力を持つ人々よ、教訓を得るがよい」
ここで意図されているのは、さまざまな出来事を注意深く見つめるように、ということです。多くの可能性や力を持つこの民の運命は、本当に教訓に溢れた物語です。彼らは武器に手をかけることなく、イスラム教徒の前に敗北を喫し、自分の手で自分の城を壊し、その財産を放り出して別の場所に散っていきました。
アル・ハシュル章の第11節から先は、約束を破ったユダヤ教徒の陰謀における偽善者の役割に触れています。彼らはユダヤ教徒に、「私たちはあなたたちの味方であり、あなたたちを助けるだろう」というメッセージを送りました。しかし、コーランは彼らをうそつきと呼んでいます。なぜなら彼らは、戦争に参加し、ユダヤ教徒を助けようとはしないからです。もし戦争に参加していても、戦場から逃げてしまうでしょう。なぜなら偽善者は信仰を持たず、神の力を理解しておらず、彼ら以上に、神を恐れているからです。
アル・ハシュル章の第14節は、臆病であることなど、偽善者の一部の特徴に触れています。
「彼らは集団になり、保護された地域や壁の向こう側以外の場所であなた方と戦うことはない。彼らの間には対立や衝突が多い。表面的には、彼らは結束しているように見えるが、彼らの心はばらばらである」
実際、この節は、「信仰のない人々の表面的な結束や団結にだまされてはならない、なぜなら彼らの表面的な結束の裏で、彼らの心はばらばらであるからだ。彼らはそれぞれが自分の物質的な利益を追求している。それに対して敬虔な人間の結束と統一は、宗教的な価値観と信仰に基づいている」としています。
アル・ハシュル章の第16節は、偽善者たちを、人間に約束をするものの、その約束が誘惑である悪魔になぞらえています。多くの人は、他人に約束をしながら、危険に陥った際に彼らを助けようとはしません。
「人間に、『不信心者になれ』と言いながら、その人が不信心者になった後で、『私はあなたを嫌う。私は世界の人々の主である神を畏れる』と言った悪魔のようである」
アル・ハシュル章の第21節は、コーランの偉大さについて語っています。
「もしこのコーランを山に下していたら、明らかに、それが神への恐れから粉々に崩れたものと見ていただろう。このような例えは人々のためのものである。恐らく彼らは考えるであろう」
あれほど大きな山が、コーランの偉大さの前に謙虚になるというのに、人々の心が岩よりも硬いということがあり得るでしょうか?
神の性質を完全に知ることは私たちにとっては不可能です。しかし、神の清らかさと唯一無二であることを示す神の性質や名前により、私たちはある程度、神のことを知ることができます。アル・ハシュル章の最後の3節は、神の性質や名前について述べています。これらの節は、人間を、神の性質や名前の光り輝く世界へといざない、神に近づきたいと考えるのであれば、これらの神の性質を知るべきだとしています。アル・ハシュル章の第22節を見てみましょう。
「彼以外に神はいない。彼は目に見えないことも見えることも知っておられる。神は寛容で慈悲深い方であられる」
ここでは、何よりも、宗教の根幹とすべての性質の源である唯一神の信仰に注目し、その上で目に見えることと見えないことへの神の知識に触れています。目に見える世界と見えない世界は、神の知識の前では同じです。なぜなら、神の無限の存在は、全ての場所を観察しているからです。そのため、創造世界においては、神の存在や知識を外れた場所は存在しません。次の節はこのように語っています。
「彼こそ唯一の神であり、彼のほかに神はいない。まことに彼は、清らかな支配者であり、健康と安全を与え、あらゆるものを支配し、決して崩れることのない力を持ち、全能であり、同等のものを配することから免れた存在である」
この節の終わりでは、これらの性質をまとめて次のように語っています。
「彼こそは、新しく作る方、形を作る方であり、最高の名前や性質は彼のものである。天と地にあるものは、彼を賞賛する。彼は英明で偉大な方であられる」