コーラン第101章アル・ガーリア章打ち砕くもの
今回は、コーラン第101章アル・ガーリア章打ち砕くものについてお話しましょう。
慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において
アル・ガーリア章は、イスラムの預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住する前に、メッカで下され、全部で11節あります。
ガーリアとは、 粉々にするもの、打ち砕くものという意味があり、この章の名前が指しているのは、最後の審判で起こる出来事のことです。それは創造世界と天のすべてを打ち砕いて破壊し、新たな世界を築きます。
ガーリア章は概して、復活とその前段階について語っています。その後で、明確な表現により、人間を2つのグループに分けています。一つ目のグループは、その行いが神の公正なはかりにかけられたとき、善い行いが重く、来世での報奨が、神の慈悲の中での平穏に溢れた生活となるグループです。そしてもうひとつのグループは、善い行いの重さが軽く、地獄の焼け付くような業火という運命が待っている人々です。
アル・ガーリア章の第1節から3節
「打ち砕くような出来事、それはなんと激しい出来事であろう。汝はその激しい出来事が何であるかを知らないだろう」
アル・ガーリア章の第4節
「その日、人々は飛び交う蝶のようになる」
蝶は普通、狂ったように火の中に飛び込みます。それと同じように、悪を行った人々も、地獄の業火の中に身を投じます。また、蝶は、その日にすべての人間が抱くことになる特別な当惑や驚きを指しています。
アル・ガーリア章の第5節
「また、山はすかれた色とりどりの毛糸のようになる」
コーランのさまざまな節によれば、最後の審判が近づいたとき、まずは山が動き出し、その後で粉々に崩れます。そして、塵のように天に舞います。アル・ガーリア章の第5節は、それをすかれた色とりどりの毛糸のようだとしています。その毛糸は色だけが明らかで、それは山が粉々になる最後の段階となっています。
コーランは続けて、死人が蘇り、彼らが2つのグループに分けられることに触れ、はかりを人間の行いを清算するための手段として紹介しています。
ここで言うはかりとは、特別な皿のある普通のはかりを意味しているわけではありません。そうではなく、あらゆるはかりの手段を指しており、伝承によれば、神の指導者や神の正義の法が、人間とその行動をはかるための基準とされています。シーア派6代目イマーム、サーデグは、はかりの意味に関する質問に対し、次のように答えました。「はかりとは、正義のことである」
人間の善行は、そのすべての価値が同じではなく、それぞれに大きな相違があることから、伝承では、善行の一部が特に強調されており、それは、最後の審判での行動のはかりの重さを決めるものとされています。
アルガーリーア章の第6節と7節です。
「だが、行動のはかりが重い人、彼は恩恵と平穏に満ちた生活を送るだろう」
この生活は、大きな満足を得られるものであり、これは、来世の生活に特有の大きな利点のひとつです。現世の生活は、どれほど恩恵に恵まれ、安全や満足、平穏を伴ったものであったしても、必ず、満足できない要素も存在します。一方で、満足と平穏、安全に満ちているのは来世の生活のみなのです。ところが、善行のはかりが悪い行いのはかりよりも軽い人は、地獄にまっさかさまに落ちていく可能性があります。そして、自分で煽った業火の中で焼かれるのです。