イランの名声、世界的な栄誉
モウラーナー・ホセイン・ヴァーエズ・カーシェフィー(7)
今回も、さまざまな分野で価値ある貢献を果たしたイランの15世紀の学者、ヴァーエズ・カーシェフィーについてお話しすることにしましょう。
カーシェフィーは後世にのこる作品を記しました。今回は、カーシェフィーが数多くの散文、韻文作品を記し、彼のさまざまな作品についてお話しました。今夜の番組では、コーラン解釈に関する著作『ホセイニーの解釈書』についてお話しましょう。
これまで、カーシェフィーのコーラン解釈に関する数百の手稿が、この『ホセイニーの解釈書』であり、イランや中央アジア、パキスタンやインドの図書館や個人のコレクションとして記録されています。研究者は、カーシェフィーの解釈の名声が高かったことは、その文学的な特性や、そのほかのほかにはない特長によるものだったと考えています。
カーシェフィーがさまざまな学問に精通していたにもかかわらず、『ホセイニーの解釈書』は珍しく、言語学的な問題は扱っておらず。彼はコーランの注釈書の翻訳を、簡単なペルシャ語により、神秘主義者の文学とほかの解釈作品から引用してきたこととあわせ、コーラン全体の簡単な解釈を行いました。
ペルシャ語によるコーラン解釈の歴史は、10世紀のイスラム法学者タバリーのコーラン解釈全集のペルシャ語翻訳から始まりました。ペルシャ語によるコーランの翻訳や解釈が認められたのは、イラン北東部のホラーサーン地方をサーマーン朝の王、マンスール・ビン・ヌーフが支配していた時代であり、彼はコーランの翻訳や解釈を奨励しました。この後すぐにペルシャ語のコーラン解釈が広まりました。
タバリーのコーラン解釈書が翻訳された後の100年から150年間、2つの重要なコーラン解釈書が記されました。いずれも12世紀のもので、ひとつはアボルファトゥーフ・ラーズィーのコーラン解釈、もうひとつはラシードッディーン・メイボディーのもので、この2つの解釈は、後に出てくるコーラン解釈に大きな影響を及ぼしました。具体的には、神秘主義的傾向とシーア派の傾向が見られたのです。
ラーズィーの解釈書は、ペルシャ語による最初のシーア派の解釈書です。この解釈書は、11世紀から12世紀のムハンマド・アブージャアファル・トゥースィーがアラビア語で記したコーラン解釈書で、重要なシーア派の解釈が含まれています。
メイボディーのコーラン解釈書も、神秘主義的影響を受けた文学的な解釈書だとすることができ、もうひとつの流派のペルシャ語のコーラン解釈の例として挙げられます。この解釈におけるコーランの節は、3つの部分に分かれています。ひとつはペルシャ語によるコーランの逐語訳で、2つ目の部分はペルシャ語とアラビア語で記されている部分です。この部分はコーランの節の単語や物語、法学について語られ、神秘主義的な解釈が提示されています。
カーシェフィーの『ホセイニーの解釈書』は、15世紀末にかかれました。この解釈はメイボディーの解釈と同じように、神秘主義的で文学的な解釈に分類されています。カーシェフィーは、支援者であるアリーシール・ナヴァーイーのために『解釈の宝』という本の執筆に着手し、コーランのすべてに関する解釈をしるそうとしました。この本はコーラン第4章の後、未完のままで終わりましたが、数年後、『ホセイニーの解釈書』という名前でさらに詳しい解釈を記し、ナヴァーイーに献上しました。
カーシェフィーは『ホセイニーの解釈書』の中で、メイボディーと同じように、大衆的な内容に神秘主義的内容を絡めていますが、この2つをはっきりと区別していません。カーシェフィーはメイボディーの文献を多用するとともに、イブン・アラビーなどの神秘主義的な人物の言葉やナクシュバンディー教団の人物の言葉を引用しています。彼はまた、サナーイーやアッタール、モウラヴィー、ジャーミーの詩を自身の解釈の中で使っています。
この『ホセイニーの解釈書』が重要なのは、それがよく知られているからではなく、後の時代のアラビア語やペルシャ語のコーラン解釈者に影響を及ぼしたことによります。16世紀終わりから17世紀のサファヴィー朝時代のコーラン解釈学者のカーシャーニーは、自身の解釈書の中で、コーランの一つ一つの言葉に関するペルシャ語訳を活用しており、そのペルシャ語訳は、このカーシェフィーの著作から引用されたものです。
そのほか、カーシェフィーに影響を受けたコーラン解釈者に、17世紀後半のトルコのコーラン解釈者のブルサウィがいます。ブルサウィは包括的な解釈の中で、カーシェフィーが書いた内容を引用しました。ブルサウィの解釈書のほとんどはアラビア語によるものですが、カーシェフィーの解釈に関するペルシャ語詩が数多く使われています。
『ホセイニーの解釈書』は、基本的に、ほかの人々が伝えたり、書いた内容を選び、それをまとめて伝えた書です。この著作は、わかりやすいペルシャ語の翻訳に、魅力的な解釈に関する内容を適切な形で混ぜあわせている本なのです。カーシェフィーは完全にイスラム法学や神秘主義の難しい内容を記すのを控え、物語や詩、格言を選んでいます。その結果、コーランの難しい内容に興味のない、普通の読者にも理解できるような作品が生まれました。
この『ホセイニーの解釈書』が有名となった理由は、カーシェフィーの記述様式やその考え方にあります。彼は理解可能なコーランの翻訳を、預言者のムハンマドの生涯や託宣に関する、それほど難しくない興味深い内容を混ぜ合わせたのです。カーシェフィーが解釈の中で記した物語や詩は、彼の作品に文学的な特徴を与え、それを魅力ある親しみやすいものにしたのです。また、わずかにアラビア語による内容を取り入れたことにより、この作品はアラビア語に関する知識がない読者にとっても、理解できる内容となりました。
カーシェフィーはこの作品の中でシーア派とスンニ派の区別をしなかったことから、神秘主義的傾向を持つスンニ派とシーア派の人々は、カーシェフィーを自身と同じ宗派とみなしているのです。
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