4月 04, 2018 18:29 Asia/Tokyo
  • 批判
    批判

今回は、批判について考えることにいたしましょう。

人間は常に、危険にさらされています。私たちが何か過ちを犯した時には、本人よりも他人の方が先にそれに気づくことがあります。このため、私たちは自分の生き方を他人の視点から見つめなおすことにより、自分の過ちをよりよく理解できます。個人や社会の進歩は、長所や弱点を把握し、不足や欠点を解消する努力によって初めて可能となります。長所や改めるべき点を認識する要因の1つは、批判です。

 

批判とは、ある物事の良い点や悪い点を指摘して、評価することです。これは、1つの技術であり、決してあら捜しをしたり、貶めることではなく、起こった物事をよりよく理解し、建設的に分析するために行われる必要があります。即ち、批判は、何かを無条件に受け入れることでも、正当な理由なしに否定することでもありません。

 

思考は、訓練によって身に着ける技術です。批判する思考とは、正しく論証し、想像力を働かせて考え、他人とよりよい関係を築き、そして最終的にはよりよい決定を下すことができる技術だといえます。そして、こうした技術を持つことで、大量の情報の中から正しいものとそうでないものを識別しやすくなります。

批判

 

私たちがよく失敗することの1つに、正当な論拠なしに、また熟考せずに多くの物事を批判し、抗議することが挙げられます。ある物事を否定するか批判するかは、そのことをどのくらい理解しているかによります。ある物事に対する見解や意見が、どのような時に理にかなったものとなり、また理不尽となるのか、またその見解を提示した人の利益となるかを見極める必要となります。このため、批判する前に、それを正しく知り、清らかで、思考する人々がそれを受け入れ、幸福と進歩に向かうことができるような批判をする必要があります。

 

 

コーランには、批判という言葉は直接には出てきませんが、一部の章句はこのテーマについて触れています。教育と導きの書でもあるコーランは、人間が正しい道から邪道にそれた場合にこれを批判しており、第61章、サフ章「戦列」、第2節において次のように述べています。

 

 “信仰する者よ、あなた方はなぜ、自ら行わないことを口にするのか?”

 

この節において、神は言動の不一致や約束違反となる考え方を批判し、約束に違反しないよう戒めています。このためには、自助努力や恒常的な訓練が必要です。おそらく、このような技術を身につけるには、一生涯をかけて訓練し、常にその能力を現在よりも高めていく必要があると思われます。

 

さらに、コーランは別の節において、建設的な言葉のみを選び取る技術に注目しており、幾つかの言葉の中から最もよいものを選び取るために、それらを吟味し、またそれらの正当性や誤り、長所と弱点に注目して、最終的に最も良いものを選ぶよう促しています。これは、物事の長所と欠点、良し悪しを識別することであり、われわれはそれを批評や批判と呼んでいます。これについて、コーラン第39章、アッ・ズマル章、「集団」第17節と18節には次のように述べられています。

 

 “しもべたちに吉報を与えるがよい。様々な言葉をきいて、その中のもっとも良い教えに従うものは賢いものたちである”

 

 

「生きるための技術」は、IRIB国際放送ラジオ日本語がお送りしています。今夜は、批判という行動についてお話しています。

 

コーランの文化には、批判的に考えること、つまりクリティカル・シンキングの重要なポイントが示されています。批判的に思考していると言えるのは、その人が自ら判断するための基準をもち、それらの基準に注目して判断している時です。この場合には、その人は批判的に考える技術を持っているといえます。これについて、コーラン第10章、ユーヌス章「ヨナ」、第36節には次のように述べられています。

 

 “彼らの多くは、臆測以外の事柄に従うことはない。誠に、臆測により人類が真理を不要とすることはない。誠に神は、彼らの行いをよく知っておられる”

 

また、批判的な思考におけるもう1つの重要なポイントは、疑問を持つことです。問題や誤解の多くは、認識不足が原因であり、また認識不足の多くは、疑問を持たないことによるものです。このため、疑問を持つことは大きな助けとなります。これについて、コーラン第39章、アッ・ズマル章、「集団」60節には次のように述べられています。

 

エ;最後の”審判の日、あなた方は神に対し虚偽を語った者たちの顔が黒く変るのをであろう。地獄には、高慢な者の住まいがないというのか?”

 

私たちが判断を下すに当たって最も重要なことは、自分の考えや、今自分が口にしている言葉が正当な理由に基づいたものであるということです。このことも、批判的に考える上での重要なポイントとなります。これについて、コーラン第25章、アル・フォルガーン章、「識別」第45節には、次のように述べられています。

 

エ;“あなた方の創造主なる神が、どのようにして影を広げられたかを見なかったのか。神がもし御望みならば、それを静止したままにされていたであろう。それから我は、太陽をそのしるしや理由とした”

 

このため、人間は常に深く考えて初めて、何が理由かを悟ることになります。

 

批判的に考える上で重要とされるもう1つのポイントは、真実の追求です。これは、自分や他人の利益になる真実に達するために行動し、真実をおろそかにしないことに当たります。それは、真実がおろそかにされた場合、批判的な思考やモラル、人間性から遠ざかることになるからです。この点について、コーラン第40章、ガーフェル章、「ガーフェル」第58節には次のように述べられています。

 

エ;“目の見えない人と目の見える人とは決して同じではない。これと同様に、信仰心に目覚め善行に勤しむ者と、悪事をはたらく人とは同じではない。だが、訓戒に留意する者は稀である”

 

ここで留意したいのは、私たちはまず自分を批判し、自らを見つめなおすべきであるということです。それは、欠点や短所のない人間は誰一人として存在せず、またあらゆる面で完全な人は誰もいないからです。こうした倫理の基本となっているのは、自分を絶対的な存在と思い込んではならず、また自分に欠点や弱点があることを認めることです。こうした精神により、他人の言動に欠点や過ちを見出したとしても、自分自身もそうした欠点が存在するということに気づくはずです。

 

このため、生活のあらゆる場面において、他人を受け入れ、折り合うべきなのです。他人との対立や自分の至らない点の一部の原因は、真実の一部があまり理解できてきないことにあり、より広く考え、このことに留意すれば、多くの誤解や無知による行動をなくすことができるでしょう。مهارت های زندگی نقد منصفانه تفکر نقادانه